失敗と悩みについて

 はてなダイアリーの方ばかり書いていて、はてなブログの使い道がイマイチ決まっていない。普通の日記にしようかな、等と思うのだが、以前から普通の日記は紙のノートに書いているので、結局このブログは使わずじまい。どうしたものか。

 しかし、前の記事であるiPod touchプレゼントキャンペーンの方で、今後はこのブログを使っていく、と言ったからには使わねばならない。そういえばプレゼントの当選者はもう決まっているのだろうか?発表は発送をもって替えさせていただくと言う例のあれだが、僕のところには何の連絡も無い。

 とりあえず今日は、ダイアリーの方の下書き・ネタ帳的な感じで、このはてなブログを書いてみようと思う。本当は逆の方がいいんだろうけど、もし本当に移行するとしたら、betaが取れてからにしようかな、などと考えている。

 今日、秋葉でとあるパソコンパーツを買った。パーツを買うときは、そのパーツが自分のパソコンと適合しているかどうかを事前に調べるのがセオリーなのだが、なんとなく今日は冒険してみたくなり、キチンと適合しているかどうかを確認せずに購入、帰宅した。

 で、帰ってパソコンに取り付けようとしたところ、案の定、と言うべきか、ともかくそのパーツは規格が違っていたせいか、取り付けが不可能であった。どうしようもないレベルで不可能であった。

 いつもの自分なら、このような「事前に十分気をつけていれば防げたはずのミス」をしてしまうと、それがどんなに些細なミスであっても、必要以上にひどく落ち込んでしまうのが常なのだが、今回に関しては、もうこんなことでいちいち悩むのもバカらしいな、と少し思った。ほんの少し。

 失敗、というのは、あくまでも、ある主観から見た場合の価値判断に過ぎないのであって、こういうことを指して昔の人は「塞翁が馬」と言ったのである。少し視点を変えただけで、失敗が成功になるということは大いにあり得るのである。

 と、考えるだけなら容易い。しかし現実はそう簡単には行かない。

 失敗しても、それはもしかすると本当は成功なのかもしれない。だから、失敗してもぜーんぜん気にしない。そんな風に生きていると、精神的には非常に楽かもしれないが、そういう人間は原理的に反省というものが出来ないわけで、失敗から学ぶことが出来ない。

 よって、同じ失敗を何度でも繰り返す。そして失敗が失敗を呼び、どんどん失敗の規模がデカくなり、最終的にはどうしようもないくらいのしっちゃかめっちゃかの阿鼻叫喚の地獄絵図みたいな失敗を起こしてしまい滅亡する。

 みたいなことになったらどうしよう、という不安があるから、人は失敗に陥る度にクヨクヨするのではないだろうか。

 しかし、あまりにもクヨクヨしていても、やはり物事は上手くいかないわけで、その辺のバランスが難しい、というか、自力でそのバランスをコントロール出来ないからこそ難しい。

 要するに僕は、悩むのが嫌なのである。いや、もちろん、悩みがあるからこそ生まれる何かがこの世の中にはたくさんある、ということはわかっている。しかし何かを生むために、悩みながらやる方法と悩まずにやる方法があるとしたら、やっぱり悩まずにやりたいと思うのが人情だろう。

 なんだか話が小難しい方向に行ってしまったので今日は寝る。あと、使えないパソコンパーツはどうしよう。