ブログを書いていない

 ブログを書いていない。最近ブログを書いていない。
 と思ってはてなダイアリーの方を見たら、最後にブログを書いたのは四月五日だった。三日前。三日書いていないだけで、「最近」ブログを書いていないように感じる。なんなんだ?ブログ中毒なのか?
 いやしかし、こっちのはてなブログの方は、毎日書いてもいいくらいの、緩いスタンスで始めたはずなのに、気がついたらダイアリーの方を更新してしまう。
 なぜだ。それは単純に、「ダイアリーの方がメインだ」という意識が僕の中にあるだろう。だって、はてなブログPro、高いし。
 大体今だって、ちょっとTwitter見て、タイムライン上の気になる言葉をググっていたら15分くらい経っている。そんなんだからブログが書けんのだ。集中力が不足しているのだよ。
 Twitterは面白い。というか、インターネットは面白い。しかし、面白がっているだけでは時間の浪費である。そこから何を汲み出せるかが大事なのではなかろうか。
 とはいうものの、ブログを書く、という行為自体が、広い意味で「インターネットしてる」のであって、じゃあそもそもインターネットって何?何のためにやってんの?とわけが分からなくなってくる。
 動機の言語化。と言っていたのは、ハンターハンターの団長だったが、年を取るにつれてそれが難しくなってきている。自分が何故それをやるのか、を言葉にしづらい。もしかすると、したくない、のかもしれない。
 順番に考えてみる。


 インターネットは面白い。見ているだけでも面白い。
 でも、ただ見ているだけというのは、なんとなく居心地が悪い。難しい言葉で言えば、有責感、のようなものを抱いている。
 受け取ったものは、返さなければいけない。恩返し、というのに近い。
 だから僕は、ブログを書いている。


 そんな風に、自分がブログを書く動機を理解していた。
 しかし最近では、その理屈がどうも怪しく感じられてきたのである。
 理屈としての筋は通っている。でも、心から深く納得はできないのである。
 なぜだろう?
 書くという行為のほんとうの楽しさは、責任感とは無縁のものだから、ではないだろうか?
 というのは、たった今、この文章を書きながら思いついた理由である。
 書くことの楽しさは、そんな風に、書く前の自分では考えなかったこと、気づかなかったこと、意識しなかったこと、そういったものを発見出来るから、なのではないだろうか。
 責任感というのは、向こうから勝手にやってくるものである。僕は、ただ書くことを楽しんでいればいい。
 と、こんな風に、毎回楽しんで書くことが出来れば苦労はしないんだけど、ね。