自己決定の難。

 前回はゲームについて書いたが、今回は物欲かな?と考え、書き始めることにする。多分最終的に話はズレると思う。
 自由に出来るお金が全く無かった頃は、いかにお金を使わずにやりたいことをやるかというのは自分の中での課題だった。そしてそれをブログに書いたりもした。
 それが最近になって、ちょっとばかりお金を使えるようになったというだけで、アレも欲しい、コレも欲しいという欲が出始めた。
 あの頃は、ただ図書館で借りた本を読んでいるだけで十分だったのに(多分)、今や新刊で本を買い、しかもそれを積ん読しているありさま。驚きだよね。
 貧乏が創造性を生む、という意味のことを、ある人が言っていて、それを信用する、とまではいかないけど、結構アリだな、と思って今まで生きてきた。
 でも、今や、というか、おとついまでの自分は、ゲームばっかりやり、物欲ばかり追って生きている。コレを書いている今も「ヘッドホンのヘッドバンド部分の素材が割れてきてるから、そろそろ買い替えかな?」みたいなことを考えたりしている。それでいいのか?
 全然よくない気もするし、それが普通の生き方なのかもしれない、という気もする。
 昔はよかった、とまでは言わないが、昔の自分に見習うべき部分もあると思うのである。
 しかし、昔の自分がゲームにハマったり小銭を得たりした結果が今の自分なのだから、まるっきり昔の自分に戻れば話が済むというわけではない。第一、誰も昔の自分に戻ることなんて出来やしない。
 新しい自分。そう、なりたい私、デビュー!である。なにが「そう」なのかは自分でもよくわからない。
 なにかになることよりも、なにかをやることが大事なんでないの?とムアイクは考える。ちょっと自己啓発じみている。
 いや、わかっている。大体わかってるんだよ。なにが?
 こんにゃく。違う。
 言葉にするのは難しい。
 強いて言えば、「何をやるか、と同じくらい、何をやらないか、が大事であるということ」なのかもしれない。また自己啓発じみている。
 やらない、という選択。選ばない、という選択肢。そういうやりかたもあるということ。
 わからない。わからないことがある。というか、いま思いついた。
 選択すること。選ぶこと。
 正しい選択。間違った選択。選択の忌避。自己決定からの逃亡。
 結局、僕は僕が何かを選ぶということに対して自信を持てないのである。だから、何かをやめるとき出さえ悩むのだろう。
 でも、悩みと向き合うことはやめない方がいいという気がする。時に正面から、時にナナメから。例えばこんな風にブログを書いたりすることによって。
 そうしないと、自分がなにをやっているのか、自分がなんなのかさえわからなくなってしまうんじゃあないだろうか。