壁の落書きと自由。

街中のコンクリート壁には言論の自由がある。でも、誰もそんなものをありがたがらない。マジメに読む人がいないから。

なぜか控えめに書かれた放送禁止用語を見て、そんなことを思った。

表現は、受け手がいなければ成立しない。小説は、読み手がいなければ小説ではない。当たり前のことだけど、言論の自由に関しても同じことが成り立つことに気づいたのである。

さらに話を進めてみれば、自由、というものについても同じことが言えるのかもしれない。他者の無い自由は、もはや自由とは言えない。

普通に暮らしていると、一人になることがすなわち自由になることであるように感じる。でも、完全に一人になった人間には、もはや自由はあり得ない。

だとしたら自由ってそもそも不可能なんじゃね?という結論に達したんだけど、どこか間違ってますかね。