モヤモヤする。でも極めて微妙な問題だ。だから細心の注意を払おう。
殺人事件の被害者に、メディアで「悲劇」としてショーアップされうるような正の面と、大々的に報道されてしまった場合に被害者の名誉が傷ついてしまうような負の面があったとする。
テレビや全国紙のようなマスメディアでは、正の面だけが取り沙汰される。一方で、ネット上には負の面についての情報が流出してしまい、ほぼ誰でもアクセスできる状態で公開されている。
もしある人が、テレビ等でその事件と被害者の正の面を知り、そのあと、その事件についてネットで調べて、被害者の負の面を知ってしまったら、どう思うだろう。
殺害されてしまった上にこんな情報を晒されてしまってかわいそう、と思うかもしれない。これはわかる。
こんなやつは殺されて当然だ、と思うかもしれない。僕はこの意見はおかしいと思う。しかし「天罰が下った」なんてことを言う人が都知事をやってるくらいだから、そんなふうに思う人も一定数いるのだろう。
メディアは真実を報道しない!と憤るだろうか。これもちょっとズレている。事件の被害者だからといって、なにもかもを暴露してもいいということにはならない。被害者の名誉は守られるべきであり、それは表現の自由よりも優先されなくてはならない。
では僕はどう感じたか。モヤモヤした。なんだかモヤモヤした思いを抱え込むことになったのである。
なににモヤモヤしたのか、ということを書きながらずっと考えていたのだが、すこしわかった気がする。それは、「マスメディアとネットの情報差について」なのかもしれない。
ネット上には、マスメディアにとっては不都合な情報というものが存在する。マスメディアはそれを報道しない。もちろん、そこにはよんどころない事情というものがあるのだろうが、結果的にある種の情報を無視していることは確かである。
かつてはそういうことがちょくちょく起こっていた気がする。ある情報が、テレビに無くて、ネットにあるというのは、数年前には当たり前の光景だった。少なくとも自分にとっては。もちろん、ネットの情報だって歪曲され誇張されていただろうから、どちらが真実というわけでもなかったのは間違いない。
少し前なら、マスメディアはネット上の情報を「知らんぷり」することができた。もちろん、大手メディアが直接「知りませんでした」と発言していたわけではないが、ネットはネット、マスメディアはマスメディア、という感じで、マスメディアがネットの情報を知らないと「言ってもいい」空気があった。だからこそ、マスメディアとネットの情報に差があったとしても違和感がなかった。
しかし今は2013年である。そのマスメディアたるテレビや新聞が、TwitterやFacebookの公式アカウントを解説し、情報を発信している時代である。
そのTwitterやFacebookを見ている、スマホやパソコンのブラウザについている検索ボックスに、事件の名前を入れて検索すれば、もうそこに負の方の情報も転がっているのである。そんな状況で、もはや「知らんぷり」はまかり通らないのではないだろうか。
知らないことが許される状況では、知らんぷりすることも許される。しかし、知らないということがありえないという状況で知らんぷりするのは、なんだかしらじらしい感じがする。
何度も言うように、今回の事件では、「被害者の名誉を守るため」負の方の情報を流さないようにしているのであって、そのこと自体にはなんの非もない。でも、しらじらしいものはやっぱりしらじらしい。そのへんのスッキリしない感じがモヤモヤの原因なのかもしれない。
くれぐれも勘違いしてほしくないのは、だからといって僕が正の面も負の面も両方テレビや全国紙で報道しろ、と言っているわけではないのだ。そしてだからこそ、僕のモヤモヤの濃度は増加の一途を辿っているのである。
ただ単にモヤモヤしただけなので、この記事に特に結論めいたものは無いが、TOKYO MXの『5時に夢中!』ではネットに流出した負の情報について触れられていた、ということは付記しておく。