オレオが食べたい。

 オレオ食べたい。オレオが食べたい。好きなだけオレオが食べたい。

 っていうかオレオになりたい。常にオレオでありたい。オレオであることのみに己の存在意義を見出したい。

 オレオである以前とオレオになった以降の自分、その違いに気づきたい。

 ありとあらゆる物質をオレオにした後、出来上がったオレオの世界に、オレオの王として君臨したい。

 オレオのことを考えたい。オレオのことだけを考えたい。

 食品類に厳しい関税を課せられた国に、密かにオレオを密輸入したい。

 オレオのために生き、オレオのために死ぬ。オレオの美学。

 どうしてオレオなのか。レモンパックではダメなのか。答えはない。ただオレオだけがそこにある。

 オレオに始まり、オレオに終わる。

 すべての根源にして、すべての結末。それがオレオ。

 どうしてもオレオでありたいと願うなら、まずは、オ、になるといい。いずれは、オレ、になれる。やがて、オレオ、になっているだろう。決して、オレオレオ、になってはいけない。とんでもないことが起こる。

 本当はオレオなんてものは存在しないのかもしれない。僕の頭のなかに拵えられた、抽象的な概念に過ぎないのかもしれない。

 だとしても(あるいは、だからこそ)、僕はオレオを強く求める。その想いを止めることは出来ない。ナビスコでさえも。

 僕は、オレオが食べたい。


















 時事ドットコム:「オレオ」に病みつき、一理あり=米大学が動物実験

ナビスコ オレオ 9枚×2P×10個