創造的依存。

こないだからiPhoneのはてなブログが全く機能しなくなっていたのだが、アプデで直ったようで一安心。

ノーはてブ期間継続中である。といいつつ、どうしても気になることがあったときはついはてなのトップページを見たりしている。iPad Airとか山本太郎とか。

依存って怖いなぁ、と思うのは、「それがあるときはあることに気づかない」という点。無くなって始めて、いかにそれが生活の一部に組み込まれていたかがわかる。

今、他に依存しているものといえば、Twitter、ゲーム、筋トレあたりか。この辺は「依存」と「習慣」の区別があまりつかない。

いや、もっともっと大きな依存があった。インターネットそのものだ。もはや僕の生活はインターネット抜きには成り立たない。おそらく結構な割合の現代人がそうであるように。

いっそ、軽いネット断食でもしてみようか。でもTwitterもブログもやめられんし…グズグズ。

どうせ依存するなら、ほんのちょっぴりでも創造的要素がある行為に依存したい。ブログはまぁまぁいい。Twitterはかなりビミョー。ゲームもやり方によってはいけなくはないと思う。

読書はどうだろう。

どうも最近、本を読みたくて本を読んでいるのではなくて、なにかから逃げるために本を読むことが多い気がする。

それはそれでいいとは思う。読書は現実とは別の現実に行くことだけれど、その別の現実は、言葉でできている以上、必ずどこかでほんとうの現実につながっている、と僕の好きな小説家が言っていた。

そういった理由からかはわからないが、最近まぁまぁ読者がはかどっている。でもそのせいかブログの方がおざなり。むむ。