あの頃の僕は、一通一通とても丁寧にメールを送っていた。相手の気持ちを考えて、どんな言葉を使えば一番いいのかを吟味して、文字を綴っていた。
マジメだなぁ。マジメすぎるだろう。今ならそう思う。
でも、あの頃マジメにメールしていたことが、今こうしてブログを書いていることの、発端の入り口くらいにはなっているのかもしれない。
たくさん言葉を使えば使うほど、ひとつひとつの言葉がないがしろになる。それはおそらく人が成長する上で避けられないことなのだろう。
つーか、なに甘えたこと言っちゃってんの?オトナなんだからさ。言葉の重みなんてもんにこだわってたら、ビズィネースはやっていけないよ?
という声がいずこから聞こえる。きっと、その通りなのだろう。言葉なんて単なるツールであって、感情とか、あまつさえ魂とかいうよくわからないものは、オトナの言葉にとっては単なる夾雑物でしかないのだろう。
でも、それでもやっぱり言葉にこだわりたい自分がいて、同時に最新ゲーミングPCが欲しい自分もいる。どっちなんだかハッキリしてくれないか、と自分でも思う。とても困る。
正しく生きたい自分がいて、楽しく生きたい自分がいる。気持ちよく生きたい自分がいて、禁欲的に生きたい自分もいる。みんなちがって、みんないい、などとは到底思えない。なんせ全部自分だからね。
やってて楽しいと思うことがいくつかあるおかげでなんとかやっていけてる、みたいなところがあって、なにも無くなってしまったらどうなるかわからない。増やさねば。いろいろと。