心がナエトル。

 心が萎えている。「心がナエトル」という駄洒落が頭のなかでリフレインする程度に萎えている。困ったことだ。

 なんだか漢字を見ていると気分がムカムカしてくる。いいじゃないか。ぜんぶひらがなとカタカナで。そんなきがしてくる。こまる。

 石川啄木が書いたものに「ローマ字日記」というものがある。全編ローマ字を使って(konnnafuuni)書かれており、あまりに赤裸々な内容であり、読めば「ぢっと手を見る」という教科書的な啄木のイメージが覆されることうけあいである。

 石川啄木 啄木日記 ローマ字日記

 啄木が書いたものが、存命中にヒットすることは無かったそうだが、彼がローマ字で書いた日記は後年になって文学作品として一部の人々の注目を集めることとなった。ローマ字だったおかげで、いろいろなしがらみから自由に書くことが出来たのかもしれない。

 日本語のように表意文字である漢字と表音文字であるひらがな・カタカナを同時に用いる言語は世界でも珍しいらしい。このことが、日本でマンガが(絵=図像とフキダシ=音を並列に表記する)流行ったことと関係があるのではないか、という意見を聞いたことがあるらしい。

 と、とりとめのないことを書いてみたり。

 スマッシュブラザース for 3DSをやっている。最近ようやく一人用モードに飽きてきたので、ネット対戦を始めた。今日は初めてエンジョイ部屋をやったが結構楽しいことに気づいた。

 というか、もしかしてもしかすると、ガチ部屋ってあんまり面白くないのかもしれない。たまにスゲーうまい人と当たると、スゲーな、とは思うけど。それだけだ。

 そもそも長年格ゲーをやってきたので、スライドパッドでマジメに対戦する、ということがしっくりこないのかもしれない。というのは単なる言い訳かもだけど。

 このことで思い出すのだが、昔友達の家でニンテンドー64のパワプロをやったのだが、自宅には初代PSしか無かったため3Dスティックが上手く使えず、僕がやる時だけいちいちオプションで十字キー操作に切り替えていたので、たいそうめんどくさがられていた。

 スマブラも、いくらやっても友達に勝てなかった。そりゃー自宅で毎日やってるやつに勝てるはずもなかったのだが、それ以来スマブラがあまり好きではなくなった。そこで親に64をねだるような子どもだったらもっと明るい人生を送れたような気もする。なんとなく。

 スマブラは楽しいが、あまり心が萎えている時にやるゲームでもない感じがする。爽快感なんて犬に食わせてしまえばいい。そんな気分。

 もうすぐMH4Gが出る。やるに決まっている。マンネリだなんだ言っても、どうせ面白いに決まっている。発売後には、楽しんでプレイしている自分が存在しているはずである。

 でもその自分は今のところこの世のどこにも存在しない。そして今の自分はその仮想の未来の自分を客観的に見て、なんとも言えない気分になっている。これはいったいどういうことだろう。