ゲームが持つ秩序。

 ゲームをやるよりも、もっと面白いことがあるんじゃないかという気がしてきた。いや、そりゃあるだろう。世の中は広いんだから。

 ゲームにはいろんな種類があるわけだけど、大抵のゲームは、ある種の人工の秩序(ルールの体系)を含んでいる。そしてその秩序を深く理解することを「攻略」と呼ぶ。

 ぼくらが実際に生きている世界は、ゲームの中ほど秩序だっているわけじゃない。むしろ混沌としている。今日も首長が誰かと罵りあったりしている。

 でも世界にある状況でのみ成立する秩序というものがあって、その秩序を記述しようという試みのひとつが学問というものなのだろう。

 だとすると、ゲームが面白くて学問がつまらないのはなぜだろう。

 人はゲームに対して「このゲームには秩序があるはずだ」という信頼を常に持っている。でも学問はそうじゃない。本当にそこに秩序があるかどうかもわからないところに飛び込んでいかなければならない。一生を棒に振るかもしれない。だからあまりやりたがらない。

 ゲームの秩序は人工のものだから、いくらゲームをやってもその秩序から出られない、と、少し前までは思っていた。でも、格闘ゲームの大会や、特定のゲームのファンによる交流会や、実況プレイ動画などを見ていたら、そうじゃないんじゃないか、という予感がしてきている。ここ最近。

 ゲームが持つ秩序が、現実世界で新たな別の秩序を生み出す。もしできるならばそんな経験がしてみたい。ずいぶんと大げさな理想論だ。っていうかそれがなにを意味しているのかもよくわからない。実際のぼくはボタンをちきちき押したりしているだけだというのに。

 はたして今ぼくがやっているモンスターハンター4Gは、そのような契機になりうるのか。そんな大仰なことを考えて意味があるのか。