誰かに注目されたいか、というと、そうでもない。
でもひとりでいるのはいやだ。できれば誰かに愛されたい。
でも他人と関わるのはおっくうだ。傷ついたり傷つけられたりするし。
面白い文章を書いて、それを誰かに読んでもらって、お互いハッピー、みたいな感じになりたい。わりとそれだけなんだけど、それがうまくできない。
それでゲームについて書いたりしている。それでアクセスが増えたりしている。でもそれで心が満たされているかというと、そうでもない。
そう。結局のところ、心が満たされたいのだ。お金で心が満たされるならそれでもいいし、承認で心が満たされるならそれもいい。
でも、心というのは、満たそうとすれば満たそうとするほど、どんどん渇いていくものだ、と昔のえらい人が言っていたんだ。たしか釈迦牟尼、とかいう名前だっただろうか
自分にキャラ付けしたり、他人に噛み付いたりしなければ、面白いものが書けないのだとしたら、ブログなんかやりたくない。というのはまぁ単なるわがままなんだろう。世の中は、僕の思いとは全然別個のものとして動いている。
スゴイやつだと思われたいとか、頭のいいやつだと思われたいとか、そういう欲望が、僕がいろいろなことをやる上での邪魔になっているんだと思う。本当の僕は、全然すごいやつじゃない。ゲームをやったり、好きな本を読んだり、ブログを書いたりしているだけの人間だ。
「牡蠣フライについて書くことが、自分について書くことになる」と村上春樹が書いていたのを読んだ。なんらかの対象について語るときの、その対象の見つめ方や距離のとり方によって、結果的に自分自身を表現することができる、という。よくわかるような気がする。
どんな対象についてでも、面白く書けるようになれたら、無敵というか、最強というか、とても自由になれるのかもしれない。でもブログでそれをやるのは難しいのかもしれない。
誰も興味を持っていないようなことについて書いても、誰かに読んでもらえるようになるには、ブログの書き手自身が人気者になる必要があるのだろう。でもそれは結構難しいし、なによりとてもシンドいことなのではないかと思う。