Minecraftの「開拓」性について

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 今日はMinecraftで、2つ目の海底遺跡を探索したり、(ゲーム内の)自宅周囲の施設を改善したりしていた。こういうことは攻略情報としての価値があまりないのでこっちのブログに書く。

 自宅周りの改善。そんなことをして楽しいのかと思うかもしれないが、実際に楽しいから困る。



 Minecraftには、大きく分けてクリエイティブモードとサバイバルモードという二つのゲームモードが搭載されている。

 クリエイティブモードは、いつでもあらゆるブロックを自由に取り出したり壊したりすることができるというモードで、レゴのようにブロックを積み上げてなにかを作るという遊び方に特化している。

 それに対してサバイバルモードは、ライフ(HP)の概念があり、満腹度の概念があり、夜になると外敵となるモンスターが湧いてくる。文字通り「生き残ること」を主眼としたモードとなっている。

 サバイバルモードでやるべきことは、まず木を伐採し、木から道具を作り、その道具で石を削って石の道具を作り、木炭もしくは石炭を使って火を灯し、種を植えて小麦を栽培し、小麦を餌に家畜を育てる、という流れになっている。

 この流れは、言うまでもなく、人類の進化、および歴史における文明の発達と完全に合致している。*1

 今、小学生たちの間でMinecraftが大人気らしいが、現代の子どもたちは、コンピュータという人類文明が生み出した最新の装置を使って、人類の進化を追体験しているのだ。なんだか少しめまいがする。



 なんであれ「開拓」という行為は、人間に、この上ない快感をもたらすものなのではないかと思う。

 アメリカの西部開拓時代、人々はみないきいきしていたのではないか。あるいは日本の戦後復興も、一種の「開拓」だったのかもしれない。

 しかし現在。もはやどこにも、開拓すべき土地も分野も残っていない、ように見える。世界は閉塞している。

 だからこそ、人々の中でもっとも高い感受性を持っている少年、少女たちが、「開拓」を求めてMinecraftに熱中しているのかもしれない。



 という、いい年してゲームばっかりやってるおっさんの随想。

*1:もしかしたら「どうぶつの森」もそういうゲームなのかもしれないがやったことがないのでわからない。今度やってみる。