漏れ出るロマン、それでも読書。

 愛でお腹が膨れますか?もちろんノーだ。そんなことはわかっている。わかりきっているはずなのに、切羽詰まると愛について語りだしてしまったりする自分がいる。バカだよ。大バカだよ。ロマンを抱いて死ねばいいよ。

 でも、誰だって本当は心のどこかにそういうバカなロマンを持っていて、平常時はそれを表に出さないように努めながら暮らしているんじゃないか。そういうもんなんじゃないのか?アレ、やっぱりぼくだけがおかしいのかな?そうだよね、うん。

 心には、溜まったロマンを適宜放出するための蛇口がある。でもあまりに大量にロマンが溜まり過ぎると、蛇口がダメになってロマンがだだ漏れになってしまう。みたいな。ロマンだだ漏れ日記。

 もちろんロマンを漏洩させてしまったことに関しては、責任は全てぼく個人にある。そのことに異論の余地はない。

 でもひとつだけ言い訳させていただくとしたら、ぼく自身だって、できればそういうことはやめたいと思っている。大事なときに余計なことを言って、人をあきれさせたりするのは。というか、そもそもそういう抽象的なことばかり考えているからいろいろなことがうまくいかないのではないか、という気もする。

 改善の努力はしていきたい。でもきっと、一朝一夕で治るような問題じゃないんだろう。絶望。


 とりあえず、今世の中にあるものので「一番スゴい」のは、コンピューターなのかな?と思って理系の大学に進学した。昔の話である。

 で、実際に大学に入ってからは、することがないので図書館に入り浸り本を読んだ。

 そして気づいた。もしかして、「一番スゴい」のって、読書、なんじゃないの?と。

 もちろんそこに、逃避という構造が存在したことは間違いない。目の前の勉強、目の前の現実が怖かったので、読書に逃げた、という面は少なからずあっただろう。

 それでも。それにしても。読書って、こんなに面白いの?いやいやいや、ほんとに?マジで?真実と書いて「マジ」と読んで?

 と、なんだかわけがわからなくなってきたが、とにかくそれくらい、読書が面白かったのである。

 そんな経験の帰結として今のぼくがあるのか、それともそんなこととは全然関係なくいまのぼくがあるのか。それはわからない。きっと永遠にわかりっこないのだろう。

 いずれにせよ、読書がぼくの人生に、かけがえのない喜びをもたらしてくれたことだけは確かだ。もしも、読書を知らない人生と、読書を知る人生、どちらかを選んでもう一度生き直せるとしても、やはりぼくは後者を選ぶだろう。たとえそのせいで自らの身を滅ぼすことになったとしても。