穴の底に、シマウマの肉。

 自分なりのやり方でやっている。自分の力だけでやっている。キレイな言い方をすればそうなる。でもそういう言い方は、良い面だけを表しているに過ぎない。

 色々なものから逃げている。怖いから。上手くいかないのが怖いから。傷つくのが怖いから。誰かに自分の自信を壊されるのが怖いから。

 そうして、ラクなことだけをやって、なにかをやったようなつもりになっている。卑怯だ。

 一生懸命、という言葉に意味があるのかどうかわからないが、せめてそのようにやれば、なにかにつながるんじゃないか、なんてムシのいいことを考えながらやっている。

 でも一生懸命ってなに?出だしの動機が逃げである以上、たとえどんなにがんばったとしても、ちゃんとやっていることにはならないんじゃないか?

 そもそも個人的動機でやっていることを、どんなにがんばったってとしても、それは自己満足にしかならないんじゃないか。がんばっていることにはならないんじゃないか。

 せめて他に誰かがいてくれれば、なにか変われるんじゃないか、がんばりの方向性が見つかるんじゃないか、なんてことを、ほんの少し思ったりしたけれど、そんな不純な動機で誰かを求めたって、前に進めるはずがない。

 本当は、自分は、心の深いところでは、そんなに変わりたいとは思っていないのだろう。この穴の底に、何かがあると思っている。思い込んでしまっている。

 もしも何もなかったらどうしよう?どうしようもない。どうにもならない。ライオンに食べられたシマウマのように、ただ土に還っていくだけだ。その日が来るまでは、走って逃げるしかないのかもしれない。

 シマウマがどんなに走っても、空を飛ぶことはできない。走って逃げて、子孫を残して、走れなくなったら死ぬ。それが運命だ。

 もしかしたら、進化によって、遠い子孫がライオンを倒せるほど強くなれるかもしれない。そうなったとき、子孫すら残せずに死んだシマウマは、進化の役に立ったと言えるのか。弱い個体は、子孫を残さないことで、逆説的に種の環境適応に貢献したと言えるのだろうか。

 話が脱線しすぎて、なんのことだかさっぱりわからなくなってしまった。

 シマウマの肉って、おいしいんだろうか。