「誰か」のために。

 手首が痛くなってもまだタイピング。ライターズ・ハイ。こーいう感じの時に書いた文章は、ほんとは公開しないほうがいいんだろうなぁ。後悔するから。だからやめとけって言ったんだ。

 「誰か」を不快にさせないように文章を書いてきた。「誰か」に見せても問題ないような文章を書いてきた。ずっとだ。ずーっとだ。

 「誰か」に嫌われないように書いてきた。「誰か」にそっぽを向かれないようなことを選んで書いてきた。それはもはや、一つの立派な抑圧だった。

 もちろん、僕が自分で勝手にやったことだ。自己検閲だ。誰のせいでもなく、自分からすすんでやったことだ。

 でも、というか、だから、というか、とにかくもうやめたいのだ。「誰か」のゴキゲンを勝手に伺いながらものを書くのは。

 というか、もはや「誰か」のこと気にする必要がなくなったんじゃないかと思うのだ。多分。わかんないけど。

 それは良いことなのだろうか?よくわからない。抑圧なんて無ければ無いほどいい、とも限らない。

 いや、本当は、ぼくは自分で勝手に「誰か」の顔色をうかがっていただけで、本当はそんなことする必要はなかったのかもしれない。

 むしろ、そんなことをしてしまっていたせいで、色々なことが上手くいかなかったのかもしれない。

 本当は、なにも気にせず自由に書いたほうが「誰か」の心に届いたのかもしれない。

  いまとなっては、もうよくわからないけれど。