風が通るように玄関のドアを開けていたら、夜中だというのに蝉が入ってきた。暴れる蝉を逃がすのに一悶着あった。
なんの話をしようと思っていたのだろう。わからなくなってしまった。
例えば、好きだと思う人がいて、好きだからそばにいたいと思う。そういうシンプルな気持ちがあるとする。
でもこの世界には様々な複雑な事情があって、シンプルな気持ちだけではなかなかうまくいかない。
そういうときに、シンプルなことを言うと、ものすごいバカだと思われる。廃棄物の無害化に何十万年もかかるから原発反対とか、人を殺したくないから戦争反対とか言うと、半人前のお坊ちゃんの無知のお花畑だと思われて、まともに話を聞いてもらえなくなる。
バカにされることは、まぁしかたないのかな、と思えなくもない。
でも実際のところ、人間を動かしているのは結構単純な動機であって、世の中が複雑に見えるのは、複数の単純な動機がごちゃごちゃに入り混じっているからに過ぎないのかもしれない。
だからシンプルな思いをバカにする人は、世の中の本当の仕組みを見落としてしまう危険があると思う。
こんな話をする予定じゃなかったんだけど。
どうして男は、女の人を好きになるのか。いや、正確に言おう。どうして僕は女の人が好きなのか。
電車で隣にいる女の人を、綺麗だとか綺麗じゃないとか、何歳くらいだとか、結婚してそうだとか、瞬時に判別しようとしてしまうのはなぜだろう。
女の人を好きになるのと、人を好きになるのは、全然違うことなのか?
うーん、またバカっぽいことを言っている。
いいじゃないか別に。女性として好きだけど人として嫌いだとか、女性として嫌いだけど人としては好きだとか、女性として好きだし人としても好きだとか、いろんな人といろんな関係があって、それぞれにそれぞれの対応をしていけば。
でも「女性」と「人」を独立して考えること自体、間違っている気がする。
その人の女性性とか男性性とか人間性とか、その他諸々を含めた全体を見て、好きになったり嫌いになったりしているのかもしれない。
でもそうやって、なにもかも一緒くたにして考えることもまた、ことの本質を見えにくくしてしまうような気がする。どっちなんだい。
まぁどっちにしても、僕らは(少なくとも僕は)、好きになったり嫌いになったりすることを自由に選べるわけじゃないんだから、ぐだぐだ悩んだってムダなのかもしれない。なんで最近コイバナみたいなことばっか書いてんだろう。自分でもよくわかりません。