よっぽど人に。

 生きる。役に立ってるのか立ってないのか自分でもよくわからないことをやって生きる。少ない報酬を頂いて生きる。

 誰かのことを思う。素敵な人に近づきたいと思う。自分には無いものを持っている人に憧れる。

 自分は価値のある人間か、そうでないのか。そういうことはあまり考えないようにしている。考えたら暗くなるだけだからだ。

 どうして僕は、色々なことを回避する人間になってしまったのか。全ては過去の経験が原因なのか、と思っていたけれど、そうとも言い切れないのかもしれない、と最近では思う。

 僕の中に生まれつき、そういう傾向になりやすい要素が含まれていて、その要素が、過去の経験によってあらわになってきたのではないか。ある種の病気みたいに。

 経験が100%ではないし、生まれつきが100%でもない。その中間あたりに、ほんとうのところがあるのかもしれない。


 父親とは同じ家に住んでいるが、もう10年以上会話をしていない。母と家庭内別居状態なせいもあるだろうが、そもそも家族とコミュニケーションをとろうとしない。

 どうも酒に酔うと性格が変わるらしく、つい最近、錦織圭のテニスの試合が見られなかったことが原因で、怒ってテレビにリモコンを投げつけて画面を割ってしまった。でも家族に手を上げたことは一度もない。

 小学校低学年以降から、父との良い思い出が全く無い。最近になって、こーいうのも広い意味でのネグレクトに当たるのではないか、と思い始めているがどうなんだろう。


 辛い時も、辛くない時も、なるべく毎日歩くようにしている。まっすぐ前を見ながらずんずん歩くと、パソコン作業で凝った首にも効くのだけれど、すぐにそのことを忘れてしまう。

 歩きながらPodcastを聴くことが多い。「たまむすび」は博多大吉やピエール瀧が面白い。「TENGA茶屋」でケンコバの下ネタトークを聴いて参考にしているが、間違った方向に知識がつきそうで怖い。

 昔は「さよなら絶望放送」を録音して聴いていた。トータルで200回以上ある放送を、通しで3回くらい聴いた。今でもラジオネーム(絶望ネーム)を色々覚えている。

 実況プレイ動画「モンハンどうでしょう」の音声だけを抽出してiPodに入れて聴いていたこともある。よっぽど時間が余っていたし、よっぽど人に飢えていたのだろう。