言葉が無い世界

 突然、おかしな世界にいることに気づいた。

 僕の姿が、誰にも見えない。僕の声が、誰にも聞こえない。そして誰の声も、僕に聞こえない。それ以外は、完全に元と同じ世界に。

 物音は聞こえる。でも人の声だけが聞こえない。そして僕以外の人同士は普通に会話しているらしい。

 正確に言えば、世界が変わったのか、あるいは僕ひとりがおかしくなったのか、どちらなのかさえよくわからない。でもその違いには大した意味は無いだろう。問題は、姿と言葉の断絶なのだから。

 どうしてこんなことになったのか。どうしてこんな世界になったのか。僕にはまるで見当がつかない。気がついたらこうなっていた。

 生きる事はできる。食べ物はいくらでもある。でもただ生きてるだけだ。言葉が無い世界では。

 いろいろなことを試してみた。いろいろな場所に行ってみた。でも世界を元に戻す方法は見つからなかった。だから諦めて、ただ生きることにしている。

 だんだん悲しいとか辛いとかいう感情も薄れてきた。言葉が無くなれば、やがて感情もなくなるのかもしれない。残るのは、動物的な本能だけだ。

 今はまだ、光があり、水があり、雲があることはわかる。でもこの先どうなるかはわからない。

 この事態は、誰かがもたらしたものなのかもしれない。この世界は、誰かが作ったものなのかもしれない。なんとなく、そんな気がする。

 もしも世界が元に戻ったら、鳩を飛ばそうと思う。白い鳩を、三匹ほど。その日を待ちわびることだけが、今の生きがいだ。変だな、さっきは諦めてるって言ったのに。