普通のメンタル

 普通のメンタルでいる、というのが最近の目標になっている。

 平常心、ということばがあるが、その言葉自体がすでに平常のことばではない。

 普通。普段通り。いや、もっとその先にある普通。

 例えば居間に寝っ転がってテレビを見ているような、そんな普通。なにひとつ心に背負っていないような状態。

 昔運動部にいたせいか、どうしても頑張るとか努力するとか集中するとか熱中するとか、そういうことに重きを置きがちになる。精神的な傾向として。

 そういうのを、行いとして行うのは、必ずしも悪いことではないと思う。

 でもメンタルの問題として、心の持ち方として、そういうのは別に必要ないんじゃないか。むしろ自分を追い込んでしまうだけなんじゃないか。積極的に無くすべきなんじゃないか。

 例えば本を読む時。どうも自分は、キチンと頭に入れようとか、集中しようとか、小説の場合は頑張って感情移入しようとか、そういう気負いを持ちがちだったような気がする。

 そしてそういう気負いのせいで、逆に本を読むことが億劫になってしまっていた面もあると思う。

 同じようなことは、文章を書くことについても言える。

 ちゃんとしよう、上手くやろう、失敗しないように気をつけよう。そんな気持ちがどこかにあった。

 もしかすると、自分の人生そのものについても同じようなことが言えるのかもしれない。

 不必要な気負いによって、上手く動けなくなっていたのかもしれない。

 もっといろんなことを、冷蔵庫に入ったお茶を飲むくらいの気軽さでやってみれば、ずっと楽になるのかもしれない。そうだったらいいのに。


 と、そんな考えでもって、生活における色々なことを「普通のメンタルでやろう」と心がけながらやるようにしている。

 もちろんうまくいかないこともある。でも前よりは少しだけ生きるのが楽になったような気もする。ただ単に無気力になっただけのような気もするけども。