体罰は暴力である。

 「体罰は暴力である。だからやってはいけない」

 正論だ。ぐうの音が出ないほどの正論。

 しかし、世の中には、「体罰=暴力」とは考えない人がいる。日本全体で言えば、むしろそちらのほうが多数派かもしれない。

 平均的な日本人は、真夏の甲子園や金八先生を当たり前のものとして育つ。その世界において、体罰は暴力であるどころか、気合の注入であったり、場合によっては愛の表現にすらなりうる。

 そこで考えなければならないことは、体罰というものが時として美談や感動的場面にすらなりうる、という問題なのではないだろうか。

 「体罰なんてありえない。怖い」と言って目と耳をふさいでいても、何も解決しないんじゃないだろうか。

 そういった態度は、いたずらに彼我の溝を深めてしまうだけなのではないか。

 そんなことを考えた。

 具体的な解決のためになにかやっているわけでもない僕が、そんなことを考えてなにか意味があるんだろうか、とも思ったけれど。