嘘、からの脱力

 悪い習慣を断ち切るのにはエネルギーが要る。嘘をやめるのにもコストがかかる。そんな一日。いやだいやだ。

 なんとなく本当のことを言い出せないせいで嘘をつき続けることになり、さらに嘘を重ねなければならなくなる。まぁ、よくある話なんだろうけれども。

 その嘘は嫌な記憶とつながっていて、だから嘘をつき続ける限り、嫌な記憶を忘れることも出来ない。だからもう嘘をつくのはやめようと、だいたいそんな感じ。

 おかげで疲れる。とにかく疲れる。でも嘘をつくのをやめたんだから、きっと心の重荷もとれるハズ。

 でももしかしたらそれは重荷じゃなくて、「心のハリ」というか「つっかえ棒」というか、嘘をつくことで僕の自我の緊張みたいなものが保たれていたのかもしれない。嘘が無くなったら、自分の心が弱くなってしまうのかもしれないという不安がなぜかある。

 いや、それは苦しんでいる人間が苦しみに意味を見出そうとする、心理学用語で言うところの防衛機制みたいなものであって、単なる錯覚なのかもしれない。

 わからない。

 まぁ、そのへんはおいおいわかってくることだろう。「まぁ」を使うと頭が悪く見えるという人がいるが、僕は使っていく。

 そんなとき、気晴らしに絵を描いた。安いペンタブレットで。

 もともと絵の素養が全く無いので、「上手く描こう」という気が全く起こらない。プレッシャーが無いので楽に描ける。もちろん下手だけど。

 文章を書こうとする時は、こんなに楽には書けない。それはもしかすると「上手く書かなくてはいけない」と無意識に考えているからではないか。

 ということに気づいた。

 それから、最近一人カラオケにハマっている。寂しい趣味ではある。ちなみに歌に関しては高校の部活程度の素養はある。

 以前は部活の中でなんとなく歌っていたが、今は自分で試行錯誤しながら、「どうすれば上手く歌えるか」ということを考えている。だからといって昔より上手くなっている感じでもないけれど。むしろ下手になっている感じもするけれど。別に誰かに聴かせるわけじゃないからいいんだけど。やっぱり寂しいね、うん。

 その中で、上手く歌うために最も大事なことはなにか、と考えてみたところ、現時点での答えは「脱力」つまり力を抜くこと。

 声というのは音であり、振動である。硬くなった体は振動を伝えない。だから歌うときには余計な力を入れてはいけない…というのは、あくまでもイメージ上の話で、実際はもっと色々複雑なメカニズムとかがあるんだろうけど、おそらく古今東西どこに行っても、ボイストレーニングで最初に言われるのは「余計な力を抜いて」ということであって、発声法だとかはその先にあるものなのだと思う。

 力を抜くと出てくる。絵も歌も。じゃあ、文章も?うーん。