ひとりカラオケ、その虚しさたるや。

 日記。

 朝ブログを書いて、夜に見なおして投稿する、というのを二日ほどやってみたが、イマイチ調子が良くない。

 まず、朝起きてすぐに物を書こうとしても、頭が上手く働かない。学校の一時間目の授業を彷彿する。寝起きで頭が動かないのは人として当たり前のことなのか、それとも単に僕の目覚めが悪いだけなのか。

 頭が働かないせいで、文章がものすごくあっさりしたものになってしまっている。実際に読んだ人がどう感じるのかは分からないが。

 また、不思議なもので、いままで夜中にブログを書いていた習慣が身についているせいか、夜中になると「文章を書きたい」という欲求が自己の内部から勝手に湧出してきてしまう。書きたいことがアレコレと思い浮かぶせいで、なかなか眠れない。

 で、そんな状態で寝て、翌朝起きると、寝不足でますます頭が動かず、書けない。なんだか脳内消化不良みたいなことになっている。これを書いている現在もものすごく眠い。慣れればどうにかなるのだろうか。

 話は変わってカラオケ。

 相も変わらずひとりカラオケに行ったが、こちらもイマイチ調子が出ず。

 っていうかですね、一人でカラオケにいくこと自体が若干虚しくなってきた感がするのですよ。ええ。気づいてはいけないことに気づいてしまったのだろうか。

 いや、一人カラオケそのものが空しいわけじゃない。キチンとモチベーションを持って、「歌の練習」とか「ストレス解消」とかで行くなら、虚しくはならない。

 ただ今回はこれといった目標もなく、漫然と曲を入れ、漠然と歌ってしまった感がある。いや、カラオケなんてそんなもんだろう、とも思うけれど。

 カラオケは遊戯である。遊び、戯れ、なのであるよ。しかし同時に、人間は意味、理由を求める生き物。それはワタクシとて例外ではなく。俺は何を言ってるんだろう。

 要するに、ただたんに遊んでいるだけではないし、時間を浪費しているのでもない、と思いたいのだね。カラオケでさえ。ちょっとムリがあると自分でも思う。

 そもそも歌というものは、古来より、歌う人と聞く人の両方が存在することによって成り立つものでもあった。

 しかし、一人カラオケは、そのような歴史的事実から逸脱することに成功した、人類史におけるエポックメイキング的な行為なのかもしれない、のかもしれない。だからなんなんだその持って回った言い回しは。

 ま、とりあえず、次行くときまでに、もうちょっと気持よく歌えるように、色々考えておこう。そうしよう。