憂鬱な映画を見たせいか、ダウナーな気分になる。何をやっておるのだ。
不快な感じではないが、なにもやる気がしない。なーんにも。
こんな時は、ダウナー気分だとどんな文章を書けるのか、試してみよう。
頑張る、頑張れる、というのは多分いいことである。
頑張らなければいけない、とか言い出すと、ちょっと危ない。
ある人が、頑張らなければいけない状況にいる、ということは、その状況は、平常時以上の力を発揮しなければ乗り切れない状況であると言っていいだろう。
安全、という観点から見れば、そんな難局にいるよりも、頑張らずに生きられる方法を選ぶほうがよいのかもしれない。
しかし、頑張って難局を乗り切ることで、人は成長できる、という考え方もある。
本当だろうか。
難しいプロジェクトを成功させたりすれば、成長が出来て、次はもっと難しいプロジェクトを成功させられるようになる。
そういう考え方は、果たして正しいのだろうか。
人生における難局を乗り切るためには、あらかじめ小さめの難局を乗り越えて成長しておくべきなのだろうか。
と、色々考えたが、要するに、今現在頑張れない自分に対する言い訳を考えているだけだろう。まったく。
昔は、プレイ動画をぶっ続けで見ることが出来たが、最近では厳しくなっているように感じる。
単純にしんどい、ということ以上に、ぶっ続けで動画を見ることによって、肩や首や腰の調子がどの程度悪くなるのか、ということを、経験から学んでしまったからではないかと思う。
ひいては、ゲームより体調管理の方が、自分の中での優先順位が高くなってきた、ということなのかもしれない。
これも一種の成長だろうか。
ヤル気満々で何かを始めた人ほど、すぐに飽きてやらなくなってしまう、という話をどこかで聞いた。
自前の武道論を掲げて道場に通い始めた人よりも、その人に連れられていやいや始めた人のほうが、長続きしたりするんだそうな。
目標があまりに高大でかつクリアーすぎると、いつまでたってもその目標を達成できない現状に嫌気が差して、やめてしまう。
一方、なんとなく始めた人は、常に身近な目標を探しながらやることになる。なぜ自分はこれをやっているのだろう?と自らに問いかけるようになる。だから長続きする。
格ゲーに関して言えば、僕は後者に近いかも知れしれない。
上達する気配は全然ないけれど。
孤独になりたい時、孤独にならざるを得ない時、他人や自分を信じられない時、人は本を読むものだ。
いつからかはわからないけれど、そういうもんだと思うようになっていた。
で、実際にそんなふうになったので、本を読み始めた。
僕が本を読む理由は、突き詰めればたったそれだけのことなのかもしれない。