考えることについて。

 勝負事においては、冷静に状況を判断し、得られた情報を的確に分析して戦いに望む方が、勝利に近づく確率は上がる。ごくごく当たり前の話である。

 しかし一方で、日本語には、「無我」「無心」というような言葉がある。

 いわく、己の感情・自我を捨て去ることによって、心のスキ・ムダがなくなり、自ずと勝負に勝てるようになる、という。

 言っていることもわからなくはない。心が怒りや焦りなどの感情でいっぱいになっている時は、どうしても冷静な判断が出来なくなりがちだ。

 でも、無我が行き過ぎて、「なにも考えないのがベスト」みたいな話になると、ちょっとマズイんじゃあないかと思う。

 確かに、余計な考えを捨てれば、経験によって体が動いて自然に勝てることもあるかもしれない。

 しかし勝負の世界は、なにも考えずに勝てるほど甘くはない。野球のバッターがヒットを打った後に「なにも考えずにバットを振りました」というコメントをすることがあるが、そこに至るまでに投手の配球、守備の陣形などあらゆることについて考えた末に、余計な考えを捨ててボールに集中したからこそヒットが打てたのであって、初めからなーんにも考えずにバッターボックスに入ってバットを振っただけでは、安定した結果を残すことは出来ない、ハズである。

 にも関わらず、世の中には「なにも考えずに頑張れ」というようなことを言うヤツがいる。「一日二十四時間、鼻血が出るまで頑張ればなんとかなる」というようなことを。そういうのは単なる「思考停止」と呼ぶのである。

 中には「なにも考えずにオレの言うことを聞け」とのたまうやつもいて、あまつさえこの国では、そういう人間のことを「男らしい」「頼りがいがある」と賞賛したりする向きもあったりするから困りモノである。いや、本当に。

 上に立つ人間が「なにも考えるな」と言うのは、実際のところ、そっちの方が支配体制を維持するのに都合がいいからに過ぎないんじゃないか、と思うんだけど、僕はひねくれてるんだろうか。

 支配される側の人間も、何かを考えるのはシンドいし、メンドクサイから、考えることを放棄して他人に任せっきりにしたりしている。まぁそれでシステムが上手く回っている間はいいんだろうけど、なにか起こった際に真っ先に割りを食うのは、そういうなんにも考えていない人間の方なんじゃあないだろうか。

 というようなことを、モンハンをやりながら考えた。リオレイア三頭クエストを攻略しながら。MH4G、楽しみですね。