別アカでnoteに書いたりしていて、ブログの更新が滞っている。別にいいんだけど。
今noteを使ってるのって、プロ、セミプロ、そして言い方は悪いけど「ワナビ」なひとが多い印象。自分もそこに含まれてるんだろうけどね。何かになりたいわけではなく、単に面白いことを探してるだけなんだけど。
やりたいことをやる、という考え方は大いに間違っていて、人が頭で考える「動機」というものは、実は全て後づけの言い訳に過ぎない、のかもしれない。
おなかが空いたから何か食べたいな、と意識する以前に、もうすでにおなかは空いているのである。だとすれば、人間の意識というものは常にその原因から時間的に遅れていることになる。
だとするなら、僕が何かをやりたいと意識する前に、「やりたい」は既に存在していることになる。
というのは今読んでいる養老孟司の本の受け売りなのだけれど。
自分がなにかをした後で、「オレはこれがやりたかったのだ」と考えるのが意識の役割なのだとしたら、意識とは精神を安定させるために脳が作った機能なのかもしれない。