もしも2兆円が手に入ったら。

 もしも2兆円が手に入ったら何に使うだろう(まさか昨日の話が続くとは)。

 iPhoneが欲しい。iMacと新しいMacBookが欲しい。PS4とアーケードスティックが欲しい。ロードバイクが欲しい。いや、そんなペースじゃとても使い切れない。

 車が欲しい。家が欲しい。土地が欲しい。これでもまだまだ2兆円には届かないだろう。2兆といったら国家予算並である。

 「貧乏人とは、お金を持たない人ではなく、お金の使いみちを知らない人のことである」というようなことを誰かが言っていた。誰が言っていたのかはすっかり忘れてしまったが、こういうときに「買い物をする」ということしか思いつけない自分は、その意味で間違いなく貧乏人である。

 お金とは本来、誰かのために使ってこそ意味のあるものなのかもしれない。学校を作る。恵まれない人々を支援する。科学技術の発展のために投資する。そういうことに使いたい。

 いや、決してキレーごとを言っているわけではない。ぼくというひとりの人間の欲望を満足させるためだけに2兆円を消費するのは不可能であって、だったら他人のために使うしかないだろう。

 あえて自分の欲望のためだけにお金を使うとしたら、どのように使えばいいだろう。例えば……例えば自分好みの美少女を見つけてきて育てる、とか?わしゃ光源氏か。そういえば星新一にも似たような話があったなぁ。

 昔の王様は闘技場を作って殺し合いをさせたりしたのだろうが、現代で似たようなことをやるとしたらどうなるだろう。サッカーワールドカップ俺杯を開催するとか。あるいはぼく好みのゲームを作らせるとか。

 そんなことを書いているぼくは、最近近所に出来た無印良品の1980円のスニーカーが気になったりしている。2兆円と2千円。彼我の差についてはなるべく考えないようにしよう。心の安定のために。うん。