苦しみのアンジー。

 苦しみは少ないほうがいい。できれば避けて通りたい。

 でもある種の苦しみは、あえてそれを自分のものとして引き受けることによって、自分を別のステージへと連れていってくれるものなのではないか。

 苦しみの先に、今までとは違う自分がいる。そういう苦しみ。

 ポイントは、「自分はなにかによって苦しめられている」と考えるのではなく、「自分はこの苦しみを自ら引き受けているのだ」という態度を選ぶことにあるように思う。

 もしかするとあらゆる苦しみは、受け取りかたによって、自分を変えてくれる契機になりうるのかもしれない。


 というようなことを考えた。筋トレしながら。

 筋トレは、自らの意志によってあえて苦しみの向こう側へ進むことによって、初めて効果が出るトレーニングだ。

 生きる上で起こる苦しみも、みな同じような性質だったらいいなと思うんだけど、実際はただただ不毛な苦しみというものも存在しているような気がする。そういうものからは、ただひたすら逃げるしかないんだろうか。なんて。