本について書くのはむずかしい。

 ゲームについて書くのはラクだし楽しい。攻略情報を書いているときが特に楽しい。頭の体操をしているような感覚で、きっと脳から楽しくなる物質がたくさん出ている。

 本について書くのはしんどい。かなりしんどい。理由はたくさんある。

 まず、言葉を正確に使わなきゃいけないので気を使う。

 また、本の場合、言葉としてそこにあるものを、別の言葉で説明しなければならないのだが、これがかなりの労力を伴う。大げさに言うと、脳みそを削り取られているような感覚。ゲームの場合は、ただ目の前で起こっていることを言葉に置き換えればいい、という感じなのでラクなのだが。

 さらに、本ついてなにか書く場合、多かれ少なかれ自分自身の意見を述べなければならない(と、ぼく自身が勝手に思い込んでるだけなのかもしれないが)ので、これも非常に気を使う。

 事実と違うことを言ってはいけないというのもあるが、なによりも、自分が「ほんとうに考えていること」を言うのは、ものすごーく難しいのである。いやほんとに。

 単なる読書感想文を書くだけでいいなら、通り一遍の内容解説とそれらしい感想を述べて一丁あがり、ってなもんだが、そんなものを書いたって何の意味もない。意味がないというのは、自分自身にとって、という意味である。

 いや、わかっている。ぼくが読書というものを神聖視しすぎていて、だからスムーズに記事を書けないのだ、ということは。

 もしぼくが読書というものを、この世に数多ある「趣味」のひとつと捉えていれば、もっと自然体でもっと素直に、もっと適当にもっと素早く書くことができるのだろう。

 恋愛でも、目の前の相手を「世の中にいくらでもいる異性(あるいは同性)の中のひとり」というように軽く考えていたほうがうまくいきやすいのかもしれないが、それと同じことである。いや、知らんけど。そんな経験ねーし。

 でも読書というのはそうではない。読書というのは、なんというかこう、崇高で、甘美で、蠱惑的で、まろやかで、なんかそんなようなものだとぼくは思っている。思ってしまっている。無意識に。

 じゃあそれほどの敬意と労力をもってして書いている、本についての記事が、ちゃんと面白くなっているのかというと、はっきり言って自信がない。それもかなりの度合いで。

 最近になってようやく、まぁまぁかな、と書いた後に思えることも出てきたし、少ないながらも書いたものに対してレスポンスをもらえることもある。

 それでも「あの本の面白さについて1000分の1も伝えられていないッ!」という不全感が、常につきまとっているのである。書くたびに。

 そんなぼくが本について書くことをやめないのは、いつかもっといいものを書けるかもしれない、と思っているからなのかもしれない。し、かもしれなくないかもしれない。

 はたしてそんな日は来るのか。っていうかそんなに悠長でいいのか。ところでチキンラーメンは茹でるのと湯を注ぐのではどっちがうまいのかという問題に対して、いまだに自分の中で結論が出ていないのはどういうことなのか。そんなことを考えながら生きている。