「独り占めしたい」も、「慈しみたい」も。

 君が元気でいたらいい、なんて。君に降りかかる苦しみが、少しでも少なければいい、なんて。そんな能天気なことしか考えられない僕ってなんなんだろう。

 最近は、特に意識しなくてもブログ(このブログじゃない方)が書けるようになってきている。自然にネタ集めしている自分がいる。あるいは自分がやったことの中から、無理なく書くべきことを見つけることができている。内容はさておき。

 もし僕のやっていることが根本的に間違っていたとしても、その間違いを指摘してくれる人は誰もいない。当たり前だ。誰にも教えてないんだから。

 教えて、間違っていると言われたらどうしよう、今の自分にはこれしかやりたいことが無いのに、って。先のことはわからないけど。

 僕の中には、なにかを全部独り占めしたい僕がいて、同時に、なにかをとことん慈しみたい僕もいる。いろんな自分がいて、どれが本当の僕というわけでもない。どちらも僕の欲望であることは間違いない。

 そういう自分の中でのバランスをとろうとするから、いろんなことに無理が出てくる。無理なく生きられている人は、そもそもバランスをとろうなんて思ってないんじゃないかという気がする。

 誰かひとりのことばかり考えていられるのは、確かに僕が暇だからかもしれない。だとしたら、僕の考えていることなんて、なんの意味もないことなのかもしれない。

 本当は僕はなにかを考えたいだけで、考える内容なんてどうでもいいのかもしれない。食べられるならなんでも食べるのかもしれない。

 どんな形であれ、誰かをどうにかしようとするのは、間違ったことなんじゃないかって気がしている。そういう気分になっている。

 「独り占めしたい」も、「慈しみたい」も、両方同じくらいダメなんじゃないかって感じがする。

 なにを言っても嘆き悲しまれるし、なにも言わなくても嘆き悲しまれるとしたら、僕はなにを言えばいいんだろう。笑ってさえくれるなら、なんだっていいと思ってるんだけど。思ったってなんの役にも立たないんだけどね。