言葉を自在に操っているつもりになっていると、必ずしっぺ返しをくらう。どうやれば言葉の死角に回り込めるか。どうすれば言葉を出し抜くことができるか。常に注意を怠ってはいけない。
なにかを目指してがんばっても、大抵思い通りにはならない。でもそのがんばる途中で、なにか別のものが見つかることもある。頂上を目指して歩いているときに、ふと足元に咲いた花に心を奪われる。それだけで充分なのかもしれない。
苦しみとは、現実が、脳の作った理想とズレていることによって生じる。いくら現実を変えようとしても、脳内の理想はわがままに姿を変え続けて、とどまることがない。完全に満足しきることは、決してない。
もしも完全に満足してしまったら、理想を追いかけようという意欲もゼロになってしまう。だからといって、遠すぎる理想を追いかけ大きすぎる苦痛を抱えて生きるのが幸せとも言えないだろう。
ままならない現実を受け入れることには慣れている。頭もよくない。顔もよくない。運動もできない。そういうところからスタートしているのだから。
すべての人を救うことはできない。ひとりの人を救うことさえできない。善だけを為そうとしていたら、一歩も動けない。
生きるしかない。生きて、感じて、考えるしかない。すべてのことは、なるようにしかならない。生きてさえいれば、心踊る瞬間や、心安らぐ瞬間があるはずだ。それで充分だと思うしかないのかもしれない。
なんかお坊さんみたいなことを言ってるなぁ。きっと今日読んだ本の影響です。