自分の中にある信仰みたいなもの 2020/10/07

自分はベストを尽くした。
だから負けたのは相手が上手かったからだ。
そう考えれば対戦ゲームのストレスは減らせる。

それでも昨日のような記事を書いたのは、
それでいいのか? と思ったから。
そうやってストレスに順応してしまってもいいのか。
どつぼにハマってないか。
そう思ったから。

人はストレスに順応することができる。
むしろ進んでストレスの中からマゾヒズム的な喜びを見つけようとする。
というのは最近読み返している本の受け売りなのだけれど。

自分の中にある格ゲーに対する信仰みたいなものがある。
だからストレスにも耐えられる。
その信仰みたいなものを見直したくなった。

自分にとって格闘ゲームは、日々のエクササイズ的にやるのには最良のゲームだ。
でもそれ以上の思い入れがある。客観的に自分を見ると。
格闘ゲームは、人がストイックさを発揮できる場所。
多分そういう風に思っている。
だから、ストイックさを妨げるようなバランスの良くない新キャラや調整が来ると、腹が立つのだろう。

ゲームに対してストイックさという幻想を見ている。
それ自体は別にいい。あらゆるものが幻想であるという意味において。
ただ、自分の中にそういう子供じみた欲望があるってことは、俯瞰して見ておくべきだろう。

今日の日記

なんとなく不安なときは休む。休むに限る。

ドラクエ11は本当にいいゲーム。

今日のお絵かき

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細かくペンの太さとか変えていったほうが深みが出るんだろうけど、めんどくさいなぁ。