カートコバーンがこっちを見ている 2023年3月20日

ストV。起き攻めの攻防はファジータイミングの読み合いだとわかってから立ち回りに集中できて価値が安定してきた感あり。


前回本を借りれなかった図書館で「ラップ史入門」と「珈琲飲み」を借りる。あと石井東吾の本を予約。
こんなに本を読むようになったのはなぜか。グラブルやめてVtuber熱が落ち着いたからか。
単に体調いいからで、ダメになったらまた終わる可能性は常にある。
あるいはAIの進化に恐れを感じたか。同じ立場に立ってすらいないのに。


今の文章AIはまだネットの知見を元にそれっぽいことを言うだけに止まっている。注意深く読めば文章の意味が通ってなかったりすることもある。それでもメチャクチャすごいけど。
でももし、例えばあらゆる文献やSNSのメッセージを含む文章を取り込んだAIが、人類の叡智を越えた(ように見える)言葉を紡ぎ始めたら。あるいはAIが独自に科学の発展を推し進めたとしたら。その時人類の意識はどう変わるだろう。想像できない。
自分にとって書くことは人生の「素振り」みたいなものだから関係ないっちゃないし、将棋や囲碁のプロ試合は依然として行われ続けているので、人類がAIに乗っ取られることはそう早く起こらないとは思うけれど。
例えば実験的に政策をAIで決める自治体とかが現れるかもね。


習慣。良い習慣を続けるには。アプリとかで管理した方がいいのか?
でもそういうことに対する抵抗が自分の中にある。カートコバーンがこっちを見ている。勝手に引き合いに出されるカートコバーンもたまったもんじゃないだろう。
自己管理とは、実際は社会からの管理に他ならない。管理されてはならない。それがロックの精神。
はぁ。で、その精神とやらでお金は稼げるんですか? 答えはノーである。
そうやって考えすぎるから先に進めなくなる。だから一度本を読むのをやめたのかもしれない。
素朴に考えれば、管理されることと積み重ねることは違うだろう。その違いについて考えていこう。