朝。お腹が下る。だいぶ書き上げる。パンもらって食べる。昼まで二度寝。午後、書き上げる。本屋。Tシャツとパンツ買う。胸トレ。
リラックス意識して、なんとか体調悪くはならない感じ。
ストファイ0をガイで3までクリア。3のベガは倒せず。このゲーム、まだ味しそう。
ホロ格ゲーもやりたいんだけど。ランダムマッチが無いと出来ない体質なのでできない。
惰性で本屋に行ってしまってる。なにか見つけないと。本も読まないと。
気がつけばセルフカットする時のハサミを自在に動かせるようになっている。鏡越しでも。
ギターも毎日やってちょっとずつ上達している。
毎日やれば手先は着実に器用になっていく。一生かけても達人にはなれないとしても。
本当は読んだり書いたりすることも毎日やれば少しずつ器用にはなっていくのだろう。変化がわかりにくいだけで。英語では芸術も技術もArtsだ。
ちょっとずつ外に踏み出すのが上達のコツなんだろう。
推しとは、単なる消費活動を、まるで創作活動であるかのように認識させ、承認欲求を満たさせるための言葉である。
というのが、ネット上の集合的な省察らしい。
ある面からすればそれは真実かも知れないが。
何もせず何の満足も得られない人よりはマシだとも思う。
もっと言うと自分は「推し」と「信仰」の見分けがほとんどつかない。「推し活」とは「信仰告白」なのではないか。
違いがあるとすれば、推しは最初から経済活動の顔をしていること、くらいか。