なんでゲームをやるんだ 2024年5月27日

朝。白湯。ジャムピーバタトースト。ぶどうパントースト。ヨーグルトグラノーラ。野菜ジュース。
猫をなでたりしながら運動。
昨日の日記予約投稿。
ギターで遊ぶ。
ただ日課をやるだけでなく、毎回アイデアを持ち込めたらいいんだけど。あらかじめ考えたアイデアを。
となると、アイデア出しを日課にしなければいけない。
読書。新前書きと旧前書き。
Fallout4。お使いに次ぐお使い。
このまま家にいると良くない感じがしたので出かける。
リュウTシャツ買う。
夜。豚すき丼。コーヒー。
ガキ。カセットテープミュージック。
Fallout4。前のプレイで見たクエストを消化。
スクワット。りんご。入浴。
また悪癖を絶たなければならない。「負」に負けてはいけない。
Fallout4。マーカーが出ないバグが出たので一旦終了しよう。やっとやめられる。
スト6。モダンキャミィ調べたけどやっぱりダメ。自分みたいなパンピーが強さでキャラを選んでも意味がない。面白そうなキャラを探してしばらく色々触ってみよう。
勉強。というか書き方練習。ゆっくり丁寧に字を書くだけで心が整う。


なんでゲームをやるんだ?
「やっとやめられる」なんてことを思うのにもかかわらず。
「中毒性」「アディクト」がゲームプレイを駆動する。
というか、それが無くてはゲームは面白くない。
でも中毒性そのものは苦しみである。
じゃあゲームは苦しみなんじゃないか。
そりゃ生きることは苦しみだからね。
生きることとゲームの違い。
ボタンを押すと反応すること。
だからゲームはよりハマる。
でも生きることだってそうじゃないのか。
人生は、ボタンを押してもあまり反応してくれないゲーム。
だから人はゲームにハマるんだね。
人生に対して、ボタンを押すと反応してくれる、と感じる人は、人生にハマれるんだ。