文机とパソコン

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 絵を描く用に、部屋に文机を設置してみた。

 使っているノートパソコンはMacBook Air。普段はリビングや布団の上に動かしているが、描くときだけここに設置する。

 使い始めてもう5年目になるが、未だに元気に動いている。大抵ノートパソコンは熱によるダメージが蓄積して動きが悪くなるものなのだが、そんな徴候もない。さすがに高かっただけのことはある。

 使っているソフトは「SketchBookExpress」というフリーソフト。フリーなのに使いやすく、特に直感的なユーザーインターフェースのおかげで、僕のような素人でも簡単に使えるのがいい。本格的に絵を描く人にとっては物足りないのかもしれないが、僕にとっては充分である。

 ペンタブレットはプリンストンのもの。マウス兼用で使えるという安物で、秋葉原で安売りしているのを見つけて買った。あまり高機能ではないが、やはり自分にとっては充分。もう生産終了しているらしい。

 しかし、僕のようにアナログの絵の心得が無い人間が、いきなりデジタルで絵を描いていいものなのだろうか。紙に描くときもCtrl+Z(MacだとCommand+Z)を押したくなりそう。趣味だからいいんだけど。

 一応自分の部屋が仕事場みたいなものなので、それなりに時間をかけて家具の配置を決めたりしていて、ようやくいい感じに落ち着いてきている。これでもっと頑張れるだろうか。どうだろうか。

財布

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 財布。ちゃんと二つ折り財布の絵に見えるだろうか。

 無印良品で2年くらい前に買った。ヌメ革なので、経年変化が楽しめるというレビューをネットで見て。

 買った時は白に近い茶色だったのが、どんどん濃い茶色になってきている。上手く行けばキレイな飴色になるらしいが、特に手入れなどしていないので、どうなることやら。

 フチがゴムのようなもので処理されているなど、安物っぽいところはあるのだが、シンプルで革の質もそこそこ良く、コスパは高かった。

 しかし最近になって値上げしてしまった。しかも、パスケースを付属して商品名を変えることで、こっそり値上げするという手法で。

 この財布を買ったあたりから無印良品の商品をよくチェックするようになったのだが、無印良品は結構こういう値上げの仕方をする。円安のせいもあるのだろうか。


 昔から革が好きで、キッカケは学生時代野球をやっていたからだろう。

 道具を大事にしろ、という監督の命令を律儀に守って、三年間毎日グローブの手入れを欠かさなかった。よく先輩や同輩にグローブの形の良さを褒められた。野球の実力の方は散々だったが。

 最近になって、レザークラフトに興味を持ち始めている。とりあえずキットみたいなのを買えばいいんだろうか。

 ゆくゆくはこういう財布を作れるようになったらいいな、などと思うのだが、いつになることやら。

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 亀を飼っている。が、この絵はその亀をほとんど見ずに記憶だけで描いた。

 もう20年近く飼っている。一時期流行ったミシシッピアカミミガメ、いわゆるミドリガメである。子どもの頃に買ってもらった。なぜ買ってもらったかといえば、縁日かなにかで売っていたからであり、その頃「ミュータントタートルズ」にハマっていた僕が欲しがったかららしい。ほとんど記憶に無い。

 2匹飼っていたのだが、1匹は10年位前に死んでしまったので、近所の公園に埋葬した。

 後から調べたところ、基本的に亀は大きくなったら一匹ずつ別々の水槽で飼わなければいけないらしい。大きい方が小さい方を攻撃したりするそうだ。可哀想なことをした。

 生き残ったもう一匹の方は未だにピンピンしており、現在甲羅の長さが20cm以上になるまでに成長している。

 なにしろミドリガメは生命力が強いので、多少水換えやエサやりをサボっていてもまるで平気。水換えがしやすい環境なら、飼う手間はトップクラスに少ないペットだと思う。

 手間がかからないのはいいんだけど、懐いたりすることもないのでどうにも愛着が湧きにくいのが難点。この風貌で可愛く鳴いたりされても困る気がするけど。

 そして亀なので寿命ももちろん長い。ミドリガメの場合、平均で30年ほどらしい。一夜の過ちが、30年後まで尾を引くとは。あの頃ミュータントタートルズのアニメが放映していなければ、こんなことにはならなかっただろう。レオナルドめ。別にいいんだけどさ。

 自分はどちらかというと、というかむしろ積極的に猫が好きなんだけど、猫って絶対亀食べるよね。怖い怖い。

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 久しぶりに絵を描きたくなってペンタブレットを引っ張り出してきた。

 何のプレッシャーもなく描きたいことを描けるのが絵のいいところだ。僕にとっては。

 抽象画っぽくすることで心得の無さをごまかすという手法。

 手を動かして何かを作る、という点では文章を書くことと似ているが、使うチャンネルというか、使う脳の部位が違うので、いい刺激になる感じがする。

 デジタルなら紙が要らないのもいい。何の意味もないものも描ける。その分緊張感も無いけど。

 引越しをした。年末だというのに結構大変だった。

 前の家から歩いて20分のところに親が家を建てたので、一緒に移り住むことにした。

 新しい家に移る家族。元の家に残る家族。それぞれの思惑があって、別に表立って対立があったわけじゃないのだけれど、なにもかもがスムーズにいったわけじゃなく、精神的な疲労感があるし、この先どうなるかわからない不安もある。

 でも少なくとも環境は良くなったし、やりたいことができるようになったと思う。もっとちゃんとしなければ。できるかどうかはわからないけど。

 しかし家を行き来して荷物を運んだり、家具を配置したりと肉体的にもけっこうしんどかったので、正月くらいはゆっくりしたい。

 移り住んだのはいいけれど、まだ慣れてないので自分の家感が無く、くつろげていないのでなかなか体が休まらない。今もとても眠い。

 今年はいいことがあるといい。全ての人と、全ての急須と、全ての分度器と、全てのカワセミと、その他全てのものに。

 どうもこの時期は、ひとりでじっくりといろいろなことを考えたくなる。

 いろいろあって、前より少し生活環境が良くなりそう。これでもっと頑張れたらいいんだけど。

 もっと人と関わったほうがいいと思うんだけど、そういうことがもうずっと上手くいっていない。家族以外との関わりがあまりない。

 傷つけたり傷つけられたりするのが怖くて人と関わるのを避けてしまう。それは優しさじゃなくて臆病なだけなんだろう、と、どこかで誰かが言いそうなことを考えてしまう。

 自分を卑下し過ぎるのもよくない。誰もが弱さを抱えているのだから、自分のペースで少しずつでも進んでいけばいい。なんて。

 求めるものが全て得られることなんてあり得ない。持っているものを使うことを考えた方がいい。

 どうも抽象的なことばかり考えてしまうな。

 ブログを書くということ、文章を書くということはどんな意味を持っているのだろう。

 場合による、としか言いようがない。

 僕はこの言葉を誰に届けようとしているのだろう。宛先の無い手紙なのだろうか。

 自分は何者なのだろう。観念的なことだけでは、それは伝わらない。

 どうやって生きていけばいいだろう。お金で買えないものもある。でもお金は生きるのに必要だ。

 時々不安になる。自分は、あるいは世界は、これで大丈夫なんだろうかと。

 確かなことはなにもない。だから積み重ねていかなければならない。目に見えるものや、見えないものを。

 だから運動をしたりする。筋をほぐしたり、心肺に負荷をかけたりする。人間は肉体であり、精神もまた肉体である、と見ることもできる。唯物論。

 こうして言葉を並べていくと、論点が少しずつずれていく。当初の問題は少しずつ遠ざかる。解決するわけじゃないけど。そういうやり方を、僕は読書で学んだんだのかもしれない。

 ずっと同じところでぐるぐると回り続けるのはどんなに苦しいだろう。僕はそれが愚かなことだとは到底思えない。そんな苦しみこそ救われるべきなんじゃないのか。

 大事なものが欲しいのか、それとも欲しいから大事なのか。

 言葉が、思考が縛られるのが、なによりも怖い。でもあらゆるものから自由にものを考えることなんて誰にもできない。

 誰かとわかりあいたい。でも自分の弱いところを知られるのは嫌だし、そこを突かれるのはとても辛い。

 本当は一生懸命生きたい。でもなにに一生懸命になればいいのかわからない。多分ほとんどの人がそうなんだろう。

 誰かが楽しそうに話すのをずっと聞いていたい。楽しそうじゃなくてもいい。そこにほんのわずかでも救いがあれば。たとえ偽物の救いであっても。

 誰にも知られず地道にこつこつとやっていく今のやり方は、どうやら自分に向いている。でもだからと言ってひとりでやるのが寂しくないわけじゃない。

 自分のやっていることは刹那的過ぎるんじゃないかと常々思うんだけど、じっくり時間をかけてなにかを蓄積していく余裕も無い。

 お金さえあればいいわけじゃないし、そのお金だって全然多くない。

 技術、というかある種のパターンが身についてきたのは間違いないのだけれど、果たしてこれが何かの役に立つのだろうか。

 ほとんどの人は僕がやっていることを認めてくれないだろうし、だからって自分で自分を認めることもできていない。だから辛い。そこが渡世人のつれぇところよ、と寅さんが言っていたみたいに。

 自分自身を売り込むようなやり方ができればもっと上手くいくのかもしれないけれど、そういうのにはとことん向いていない。隅っこで自分の好きなことをやっている方が好きなんだろう。

 自分は家族の中でずっとなにかを我慢してきたような気がする。そういうことがなにかに影響しているのだろうか。今度そういう本を探してみようか。