「言い切るべきか問題」について

 今読んでいる二冊の本について。

 片方には「ものを書くなら『個人的には〜ではないかと考える』みたいな回りくどい言い方をせずにバシッ!と言い切れ!!」というようなことが書いてある。

 もう片方では「○○さんの書いたものは、ものごとを断定せず、ああでもないこうでもないと寄り道しながら進んでいくところに好感が持てる」というようなことを言っている。

 完全に、相矛盾したことが書かれている。

 もちろん、どちらが正しいという話でもないだろう。例えば自分の考えを滔々と述べたいという時に、いちいちアタマに「これはわたしの考えだが〜」とつけていたらうっとおしくて仕方ない。逆に、自分で自分の考えに自信がないということをそのまま伝えたいときは、あえて回りくどい言い方をするのもアリかもしれない。

 それはそれとして。

 自分の文章は、かなりまわりくどいほうだと思う。どうでもいいことを細かく書くことに喜びを見出したりして、むやみに文量が長くなってしまうことが多々ある。

 僕自身が楽しければそれはそれでいいのかもしれないが、しかしたまにはビシッと言い切ったほうが、説得力も出るだろうし、文章にメリハリが出て読みやすくなるかもしれない。

 言い切り、といって最初に思い浮かぶのは、太宰治の「富士には、月見草がよく似合う」である。よくよく考えると、なぜ花なのか?季節によって変わったりするんじゃないか?というような疑問が浮かんでくるが、似合うって言ってるんだから似合うんだよ、という言い切りによって名言扱いになっている。これに学ぶべきなのではないか。いや、これに学ぶべきだ。という言い切り。

 ここで注意しなければならないのは「スタバにはMacBook Airがよく似合う」と言い切ったとしても意味は無いということで、なんとなれば「スタバでMacBook Air」という行為が既に社会的に認知されており、何の意外性もないからである。もっと意外なものをくっつけなければ、説得力を生む以前に、説得という行為自体が成立しない。

 「スンドゥブチゲにはニホンカワウソがよく似合う」というのはどうだろう。近年日本でも食されるようになった、赤い汁に具材が浮かぶスンドゥブチゲと、もはや絶滅してこの世に存在しないとされる、川や湖に浮かんでいたであろうニホンカワウソのコンビネーション。すごく意外性がある。

 あるいは「国民健康保険には不動明王がよく似合う」ではどうか。ケガや病気の際にお金をもらえるという優しい制度である国民健康保険と、やたらいっぱいある腕に剣など持っていかめしい顔で立つ不動明王の取り合わせ。静と動のコントラスト。そこに生まれるハーモニー。僕は何を言っているのだろうか。

 ずいぶん話がおかしな方向に行ったが、つまりなにがいいたいかというと、たまには己の独断でハッキリものごとを言い切ってもいいんじゃないか、いや、いいのだ、ということをですね、わたしは言いたいのです。いや、言います。言い切るのございますです。なんのこっちゃ。