ありとあらゆることに対するモチベーションが低い。困った。実はわりとよくあることだったりもするんだけど。ゆっくり休めば大体治る。
こんなときは駄文を書くに限る。で、今書いている。それでいい。それがベスト。
最近は、「村上さんのところ」を読むのが日課となっている。村上春樹が質問に答えるサイト。
過去にも同じようなことをやってたみたいだが、リアルタイムで遭遇(?)するのは初めて。
実は僕も質問を送ったのだが、もし採用されても教えません。うふふ。若しくはおほほ。
村上春樹が書く文章はステキだ。でも、現実の世界はかならずしもそんなにステキではない。そんなことを思ったりもする。
ステキに生きるためには、日々のちょっとした努力が必要なのだろうと思う。毎日歯を磨くとか。トイレに入ったらちゃんと手を洗うとか。
モチベーションが低いのでゲームもやってない。いい傾向である。悪い兆候である。僕の場合、どちらでもある。
ゲームなんか無くても生きていけるし、ゲームをやったからってバカになるわけじゃない。あたりまえだけれど。
ゲームって、実は結構フィジカルなものだと思うし、ゲームを上達するのに必要なコツみたいなものって、他のことにも転用可能なんじゃないかと思う。
ただ、ゲームの弱点は、目と指先しか使わないということで、もっと全身を使えるゲームがあれば、もっと人間の能力開発、みたいなことに役立つような気がする。
みたいなことを思うのは、最近武術家が書いた本を読んだからだったりする。影響されやすいやつ。
以前、どこかの外国で作られた、ヘッドマウントディスプレイをつけて、360度に動くベルトコンベアの上に乗ってプレイする体感型ゲームがあるというのをネットで見たことがあるが、そのときプレイしていたのはいわゆる戦争物のFPSだった。
画期的な発明を使ってやるのが戦争、というのがちょっと悲しい。一方日本人は、お部屋で女の子と戯れるゲームを作ったわけだが。
又吉直樹の「火花」を読んだ。とてもよく書けていたし、彼にしか書けない小説だったと思う。
ただ、芥川賞を取るかどうかは微妙かな、と。いや、自分は過去の芥川賞作品の傾向に詳しいわけじゃないから、単なる勘なんだけど。
「火花」はたしかに面白いし、独特の味もある。ただそれは「独特の味」という程度に留まっていて、小説としての問題意識や目的意識みたいなところには至っていなかったような気がする。
言い換えるならば、「上手な小説を目指して書かれた」という印象がどうしても最後まで拭えなかった。平たく言えば教科書的だった。教科書的というのは、国語の教科書みたいな文章だった、という意味ではなく、「純文学的」に正しい、という意味。
まぁ賞レースのことなんてどうでもよくて、小説そのものが面白ければいい、というのが正解なんだろうけれど、今コレを書いている僕自身が最初に芥川賞のことを気にしてしまっているという。困ったもんだね。