2022年8月22日

変な人のことを考える。
世の中には変な人がいる。
その中には、変な人として世間に認められている人がいる。
変すぎて、「本当にそれでいいの」と思うことがある。
その変人さを背負って、一生生きていくの? 辛くない? 後悔しない? と。
一方でそういう人への憧れもある。独自性を持って生きている人への羨ましさが。


自分らしさ、という言葉は、いつの間にか逆に良くない言葉、みたいに扱われるようになっている。
実際によくないところはあると思う。
多くの場合、自分らしさという言葉は、他者から見た自己の評価を指して使われる。そこに矛盾がある。
自分らしくあろうとして、他人の目ばかり気にする。それは本当に自分らしさなのか。
自分らしさはオリジナルであることを肯定するために使われる。しかしオリジナルにこだわることはあまりいい結果をもたらさない。
自分が自分であることに価値を見出してもあまり意味がない。タコが自分の足を食べて生き延びているようなものだ。


しかしそれはそれとして、自分らしさを持っているように見える変な人に憧れる。
そうあろうと決意したのか、それともそうあることしかできなかったのか、それは人によるだろう。
普通であることから逸脱して生きられる、その勇気に思いを巡らせる。


自分は子供のころ、自分じゃない自分を演じていたような気がする。他人に求められる自分を。実際のところ、別に誰かが求めたわけでもないのに。
それが辛くなって、演じるのをやめたいと思った。普通になりたいと思った。
そんな自分が普通であることに物足りなさを感じている。今度は自分が求める逸脱を欲している。
結局のところそんなものは存在しないかもしれない。自分は根っから普通の人間なのかもしれない。だとしてもそれを知ることができるのだとしたらそれはそれで良いことなんじゃないかと今は思う。