気温の変化に勝てない。
アメスパ1を観た。面白いけどアクは弱い。
オーバーウォッチは1日1試合ならギリギリ疲れが残らなさそう。おじいちゃん。
散文に正解は無い。
全ての人が6歳から正解を求められる。人によってはもっと早くから。
でも散文には正解は無い。
自由の良さばかりが喧伝されるが、人は自由を求めるのと同じくらい、不自由を求めている。
枠を決めて、その枠の中に自分がいることを確認して、安心したいと思っている。
それ自体は普遍的なこと。
それはそれとして散文は自由。
完全な自由はなく、完全な不自由もまた無いとして、どちらかと言えば自由寄り。
インターネットのおかげで散文はもっと自由になった。良かれ悪しかれ。
散文を書くことは、自由に耐えること。
多すぎる可能性を、縮減すること。
自由を不自由にすること。
肉体という限定。欲望という限界。
そういうものを利用すること。