2022年12月26日

心がしんどいから自分の好きなことをやろう、と色々考えた結果、自分はオーバーウォッチ2がしたい、という結論に。いつも通り。
対戦ゲームをやるコツは、まずそのゲームが上手い人達のTwitterやYouTubeフォローしまくることである。
今日はブリギッテがウィドウメーカー対策に強いという情報が役立った。

グラブルはあと2年位寝かせればまたやりたくなるかもなぁ、と思いつつ無料ガチャだけ引いている。

小説を書ける人は、ランダムな言葉を組み合わせてタイトルを作るだけで内容を思いつくことができたりする。
自分にはそういう才能はからきし無い。
自分のやったことをブログの記事にすることはできる。それが面白いかどうかは別として。
本屋で小説入門を立ち読みしてそんなことを思う。

「大人は本を読む物」という漠然としたイメージに従って、ある時期までは意識的に本を読むようにしていた。
文学は自分にとってとても重要な意味を持つものだった。具体的に上手く言い表すことは出来ないが、「人生には大事なものがあるよ」というようなことを教えてくれたような気がした。
最近はめっきり本を読まなくなったが、そのときに感じた「感触」のようなものはまだ心に残っている。多分いつまでも残っている。
「それ」をもっと大事にすべきなんじゃないかと、ときおりふと思うものの、何も出来ずに、というかやり方が分からずに、時間は過ぎている。
困ったことにその「感じ」は自分の人生と全然結びつかない。自分の生活とも趣味趣向とも関係のない場所で、ただなんとなく崇高な感じでそこに居座り続けている。
そんなもののことなんて忘れて、ただTikTokでも眺めていれば人生はそのうち終わってくれるのだけれど、「それ」はときおり顔をのぞかせては「それでいいのか」みたいなことを問いかけてくる。ひょっこりはんみたいなやつなのである。
少なくとも「それ」が無かったとしたら自分はブログを書いたりはしていないと思う。それが自分にとっていいことなのかはわからない。