現実を見えなくするということ 2023年7月26日

ラシード、疲れたら読書。を3セットくらい。
自分の身体が何を訴えていようともとりあえずやる。それもまたよい。
終末のワルキューレを読む。


それにしてもラシードがしっくりこない。時間かければ変わるのか。
そもそもなぜキャラを変えているかというと、もっと格闘ゲームを楽しみたいから。
いままで格ゲーやるときは、1キャラか2キャラを使って終わりだった。自分は不器用だからそれが限界だと。
でもそれってもったいなくないか。色々なキャラを使ったほうがお得じゃないか。満足度が上がるんじゃないか。
キャラを変えるとメインキャラの練度は下がる。でも強さを目指してるわけじゃないんだから下がったっても問題ないし。
数年に一度の新作であるスト6でそれを試してもいいんじゃないか。そう思った。
モダンのおかげでそれがある程度出来そうな感じもあった。
でもラシードは明らかに違う。モダンでも段違いに難しい。やれることが多い。コンボも複雑。
ついでに言うとなんか戦い方がエルフォルテっぽい。しっくりこない。
それでもやり続ければ何か見えてくるか。面白さが出てくるか。それとも時間のムダなのか。うーん。


ところで明日はグラブルVSRのベータ版。
予習でグラブルVS触ったけど、やっぱこっちのほうが操作性そのものはまとまっている。
Rはコマンドが実質無くなるらしいがどうなるだろう。ここまでメジャーな格ゲータイトルでコマンド完全廃止なのはおそらく初めて。実験としてとても興味深い。


嘘をついてごまかそうとすること。
本人はなんとかとりつくろうとしている。でも周りから見ればバレバレ。
それでも守らなければならないものがある。それはもはやプライドとか名誉でもなく、体裁。人としての最低限の一貫性。
私が間違っていましたと認めることにインセンティブがない。潔さが評価されない。弱点を見せればその分だけ付け込まれる。
社会がそういう風になったのか。別に対して変わってないのか。


それはそれとして。
すべての人は自分を騙しながら生きている。
すべての責任を背負っていたら押しつぶされてしまうから。
それが悪いことだとは言えない。
ただ、現実を見えなくするということは、時にとても危険なことにもなりうる。