2021年1月22日

朝起きて日記を書くのを忘れたので、出先の公園で書いている。
近くのベンチにサックスを吹くお兄さん。池の波音。鳥のさえずり。なにもかも良い。今日はあったかいし。

「読書百遍義自ずから見る」ということわざかある。なお正確な文言はググってコピペした。
何度も同じ本を読めば自然に意味がわかる、という意味。
いや、自然にわかるわけないでしょ、と思っていた。
極端な話、僕がいきなり誰かからマレーシア語で書かれた本を渡されて、それを100回読んだとしても、何かが得られるとは到底思えない。
だからこのことわざは偽りだ、と。

しかしそういう極論は置いておいて。
何度も同じ本を読むことで得られる効用は確かにある。
たとえば。
初めて本を読む時は、とりあえず全体を読み通そうとする人が多いだろう。
なぜそういう心理が生まれるのかはわからないけど。
木を見て森を見ず、的な事態を避けようという無意識の働きだろうか。
でも二度目に読む本であれば、そういう心理的な「縛り」があまり働かなくなる。
ちょっと手に取って、一章だけをさっと読む、なんてこともやりやすい。
ひとつの文章の論理構造について、じっくり検討してもいい。
そのようにして細部を検めることで、逆に全体の論旨がわかることもある。
ただたんに文を読むことそのものの快楽を得られることもある。

そういった全般を指して「読書百遍義自ずから見る」と言うのかもしれない。