読書デーになった 2023年11月3日

読書がノってきて、読書デーになった。
「あなたは今、この文章を読んでいる」を読了。
最近は、月曜から金曜に本を読んで、土曜に考えて、日曜に感想を書く、というペースができつつあったけど、流石にこの本の感想を一日で書ける気はしない。
パラフィクションとはなんなのか。自分なりの理解は深まった。
読者を巻き込むタイプのメタフィクション、という認識でよいのだろうか。
そのようなフィクションは、ゲームであればいくつか思い浮かぶ。ドキドキ文芸部とか、インスクリプションとか。もしかしたら壺おじも。スタンリーパラブルはパラのようでパラでないのかもしれない。
ともあれ、そのようなフィクションがあるとして、そこにどのような意義、というか、そのような概念が名指されることによる効果のようなものがなんなのか、みたいな部分については、咀嚼しきれていない。
書くことが祈りであり、読者への呼びかけであるなら、パラフィクションこそが最も直裁な祈りの表れである、みたいな感じか。今思いつきで書いてみたけど。


スマホのドラクエ3を朝までやってしまって寝不足。でも一人旅おもれえんだ。


レンタル中古ショップ行く。中古のiPhone欲しいなぁ、という気持ちだけを募らせる。


朝パングラノーラ。昼納豆ともやしナムル。夜唐揚げ。
体幹トレ。バーピーが膝にダメージ。やめればいいのに。でも身体がしまってきてるからやめれない。


誰かに伝えたいことを書く。確かに、それだけが文章を伝える方法なのかもしれない。理屈ではわかっている。
でも、伝えたいという気持ちを持ち続ける持続力や、それを発信し続ける勇気が、自分にあるようには思えない。
というか、そういうものは追いかけるほど逃げていってしまうように感じる。
追いかけずに待つべきなのか。それとも本当はあくまで追いかけるべきなのに、自分はそれをしてこなかったのか。あるいは、追いかけることも待つことも、本質的には変わらないのか。