誰かが書いた本を読む。誰かが作った音楽を聴く。そんなことを当たり前のようにやっているけれど、それって本当に当たり前のことなんだろうか、と思った。それは私が。BOOKOFFの店内を歩いていたら。
だってさ、すげぇいっぱいあるよ。本も。CDも。DVDも。あとゲームもね。
なのに、自分の身体は一つしかないし、自分の人生は一回しかない。それはなんだか理不尽というか、不条理というか、とにかく何かがズレているような感じがする。なぜなのかはわからないけど。
世の中は誰かの創作物であふれている。そしてネット上も誰かの創作物であふれている。このブログもまぁ、ひろーい意味で言えば創作物と呼べなくもないだろう。
でもそれを享受する人の数は、悲しいほどに限られている。そして当然の帰結として、創作物は氾濫する。
それでもやっぱり創作物を見たり聞いたりしたい。少なくとも自分はしたい。で、自分にあった創作物を探す。でも、上述の通り創作物は氾濫しているので、なかなか自分に合ったものが見つからない。疲弊し、途方に暮れる。オレ、なにやってんだろ、と思う。ぺしゃんこになる。
オレは創作物を楽しみたいだけなのに、なぜその前段階でつまづかなかればならないのか。
と、ここまで書いて気づいたのだが、自分はラクして創作物にありつこうとしているのではないか、ということ。
別に苦労すること自体がエラいとは言わないが、創作物の作り手は、きっとみな途方も無い苦労の末に作品を生み出している、に違いない。それをば座して喰らわんとしているオレさま。偉そうにも程がある。
とはいうものの、「自分に合った創作物を探す苦労」というのは、世にある創作物の数に比例して増える。
それと同時に、年とともに自分自身の知識が増えて観測範囲が広がることによっても、そのなかから自分の合ったものを探す苦労も増えるんじゃないか、ということを今書きながら思った。
つまり年をとればとるほど、創作物は面白くなくなってくる。それはもちろん、「自分にとって」であるが。
うーん、なんだか暗い気持ちになってきた。寝る。