2020年11月16日

 昨日は完全に格ゲー闇メンタルに入っていた。危ない危ない。

 なぜ負けるのかがわかるほど、怒りは減る。

 読み合いに負けたとか、別の部分を意識していたとか、相手が上手かったとか。

 「この連携は自分の実力では防御しきれない」だとか「ただ相手がぶっ放しただけ」とかでも、自分は原因さえわかっていればそれほど腹が立たないタイプ。

 完全二択で読み負ける。グラブルVSではあまり無いがランスロットのJHはそれに近い。

 丁半博打に負けたと思えばどうでもいい。コマンド投げとかもホントどうでもいい。


 事前に自分で組み立てた戦略を出す。そしてその場で相手の攻撃方法を防ぐ防御を考え、同時に相手の防御方法を崩す攻撃を考える。

 それだけの演舞みたいなものだと思えば対戦でストレスを感じにくくなる。もちろんそう思えないときもある。思えないときのほうが多いかも。

 さらに、ストレスを感じなくなったらなったでもうそのゲームをやる意味を見いだせなくなる、なんてこともままある。適度なストレスは必要なのかもしれない。


 再び韻について考えている。

 どうして自分は、音楽に関しては技術というものに興味が湧かないのか。

 だからメタルがあんまり好きじゃない。もちろん全部が嫌いなわけじゃない。むしろ好きな曲もある。ただ、単なる超絶技巧についてはどうでもいいと思っている。

 音楽の良さは、聞いたときの感覚。それが快感であれ不快であれ。

 そこに後から「この音楽はこんなテクニックがあるんですよ」と講釈を垂れられても、ハイそうですか、と思ってしまう。

 私は努力してこんなテクニックを身につけたんですよ、みたいなことを言われると特に心が萎える。触手が伸びない。

 「なんだかよくわからないけど心を惹かれるもの」に心を惹かれる。それ自体は間違っていないはず。

 技術というものとどう向き合うべきか。まだ全然わからない。


 そんな事を考えた上で、韻、について。

 ただのテクニックにしか見えない。オレは言語野が人より優れているぞ、っていう誇示でしかないのではないか。

 と、自分の中の過激派が言っている。そこまで言わなくても。

 それでも韻のことが気になるのは、自分の言語野が人より優れていると思いたいからなのかもしれない。

ジブラの日本語ラップメソッド

ジブラの日本語ラップメソッド