自分には主体性が無い

自分には主体性が無い
いろいろな人にあこがれて、ぼちぼちと色々なことをやってきた
よくよく考えてみると、自分があこがれるような凄い人たちは、みな主体性のある人だったような気がする
その有り余る主体性を以て、自らの人生を切り開いていく人達
しかし自分には肝心の主体性が無い
あまつさえ、「あなたには主体性が無い」という旨のことを告げられ女性に振られた経験すらある

なるべく一人で生きていれば、いずれ主体性が生まれるかもしれない
と、具体的にそのように考えていたわけではないが、総じて言えばそのように考え、そのように生きてきた
結果、特に主体性が生まれたような気配もない
そもそも非・主体的な態度で主体性を生まんとする態度自体が、既に主体的でない

本当のことを言うと、厳密な意味で主体性のある人間なんてこの世に存在しないんじゃないかと考えている
「欲望は他者の欲望である」という箴言からもわかる通り
しかしそんな哲学的な議論とは別の次元で、自分は客観的に観て主体性の無い人間なのだろう
それは自分でも強く感じる
だから自分には主体性が無い
本質的に自分の非を認めていないのだからタチが悪い

特に何か原因があったわけではないが、今日はそんなことをしみじみと考えた
主体性の無い人間は、主体性がある「ふり」をするよりも、主体性の無い人間なりの生き方をすべきなのかもしれない
主体性が無いので、そうすべきと決断するのは難しいけれども