目の前にあるものと向き合う難しさ 2020/09/12

眼精疲労は3割くらい治ってきた。
肩の力を抜いて肘が重力に従うようにするといい感じっぽい。

グラブル。
ゼノサジタリウスの石と武器を凸ったので、JPと半汁を回収中。
今はやればやるほど強くなれている実感があるのでグラブルのモチベがある。
これ以上やっても変化がないな、と思うと人はゲームに飽きるんだろう。
モンハンはもうやるモチベが無いから1回狩って終わり。ミラボレアスまでは。

モンスターファーム2はリアルタイムでやったはずなんだけど全然ハマらなかった。
Cランクくらいのモンスター作って終わり。
友達と情報交換したりして楽しむのが正しいんだけどそういうことをやらなかった。
我流でやってたのが良くなかったのかもしれない。
今から攻略情報見てリメイクをやれば楽しめるだろうか。

目の前にあるものと向き合おうと思った。
届かない尊いもののことを考えて何もしないより、例えそれが世の中に全く認められていないクズみたいなものであったとしても、今自分の目の前にあるものに向き合って何かしようと思った。
で、それが自分にとってのゲームだったわけだな。
ゲームを真面目に面白がって、その過程と結果をブログに書こうとしてきた。
でも人の興味は移り変わるものだ。
果たして今現在の自分の目の前にあるものはゲームなのか?それともそうじゃないのか?そうじゃないのに惰性でゲームをやってるんじゃないか?
ゲームは悪いものじゃない。そして自分の人生の全てでもない。そんなのは当たり前のことだけれど、そういう視野の広さをすぐに失いがちなのが自分だ。
自分のようななんでもない人間だからこそ、ゲームを全てだと思って全力で取り組めよ、という考え方もある。でもおそらく自分はそういう猪突猛進な人間ではない、と思っている。今のところ。
今本当に目の前にあるものと向き合うのは難しい。そして自分の変化を受け入れるのは怖い。そういうことかもしれない。
しかし自分の話ばかりしてるな、自分は。

ビデオゲームの美学

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