2021年3月10日

自意識は檻のようなカタチをしている。
だから束縛を感じる。だから解放されたいと思ってしまう。
問題は、自意識そのものにあるんじゃない。
自意識イコール自分自身であると、無意識に思い込んでしまうことに、苦しみの原因があるんじゃないか。
本当の自分はどこにあるかと、あえて定義するなら、それはすでにそこにある肉体そのもののことだ。
そして「あえて定義する」のはあくまで自意識の働き。
わざわざそんなことを考える前から、ちゃんと自分はそこにある。
考える前から自分は存在してる。

自意識を手放せば楽になれるわけだけど、注意しなきゃいけないのは、きちんと手段を選ばなきゃいけないってこと。
人間の脳は、一時の楽を得るためには、別の苦痛すらいとわない傾向がある。
だから昔からいろんな人がやってきた、比較的穏当なやり方をマネするのが安全だろう。
一生懸命絵を描くとか。滝行するとか。
ゲームをするのもよいでしょう。
でもそれらも、やりすぎると身体的あるいは経済的な害をもたらしかねない。
なにごともほどほどが一番。


久々にモンハンワールドやったけど、やっぱこのゲームよくできてる。
音と画の迫力がすごい。
そんでやっぱり自分向けじゃないなと感じてしまった。
坂道をダッシュで下りるとスライディングする。
でもどの坂がスライディングできるかは、見た目だけじゃ完全にはわからない。
なんとなく、この坂は滑れそうかな? と目測して実際にダッシュしてみるしかない。
不確定要素が強すぎる。
そんでアイスボーン全体がそういう不確定要素だらけだ。
自分はもうちょっと確実性のあるゲームをやりたい。
上手くやれば、100%とまではいかないけど、まぁ大体9割くらいは成功できるような。
ギャンブルをやりたいならパチンコでも競馬でもなんでもやればいいし、自分はそっちに興味ない。
モンハンはシリーズを重ねるごとに不確定要素が増えている。
もう自分向けのゲームじゃない。
それがわかってるのに、たまに起動してはそのことを確認せずにはいられない。
シリーズファンの悲しきサガ。

FF7リメイクは「なんでホストとキャバ嬢みたいなやつらが恋愛ファンタジーするのを見にゃならんのだ」という、僕がFF10以降をやらなくなったのと全く同じ理由で飽きてきたので、しばらく置いておくことにする。

そんなわけで結局一日一時間のデスストランディングに戻ってきちゃうんだけど、そろそろ新しいゲームを開拓しなきゃな。
グラブルVSもやれてるけど、本格的に格ゲーやると疲労で生活が破壊されるから週一くらいに抑えたい。
グラブルは作業だからゲームとは別枠。それでいいのか。