2022年8月25日

文章を書いて時間を潰すのはどうだろう、と昨日書いたけれど、結構いいかもしれない。
今日はてなブックマークで見かけた記事にも日記を書くことの効用があった。
togetter.com
人は思考がぐるぐるするのを止めるために、余計なネットサーフィンなどをしてしまうのかもしれない。それを防ぐためにも日記は有効なのかも。
とはいえ書いて公開していい内容とそうでないものがある。よくない内容は非公開の記事に移すなどしたほうがいい。



今日も猫がタイピングを邪魔してくる。
どうしてケツをキーボードの横に置いてマウス操作を邪魔してくるのか。
猫が乗ってもタイプされにくいのがメンブレンキーボードの良いところ。



中途半端に読書なんてものをかじってしまったせいで、書く文章が文語寄りになってしまった。ブログを書く上でそれで良かったことはあまりない。わざわざ伝わりにくそうな言葉を言い換える手間が生じている。わかりにくい言葉が自然に出てくるのは基本的に良いことなんだろうけども。もちろんその言葉をちゃんと使いこなせているのであれば。



ロック音楽とはなんなのか。音楽性なのか。生き様なのか。わかりゃん。
反抗なのか。ラブアンドピースなのか。あるいはどっちもロックなのか。わかりんせん。
ひとつだけ自分のロック観があるとすれば、「こいつはロック」「こいつはロックじゃない」みたいに他人を叩く棒にロックを使うのはロックではないなと感じる。



ガチャは悪である。でも必要悪だった。ゲーム会社が利益を出すための。
でもそれすら成り立たなくなってきているのかもしれない。
ガチャを回して周回するゲームにプレイヤーたちが飽き始めたムードを感じなくもない。
あるいはガチャを回さなくても楽しめる海外製のゲームが市場を席巻するかもしれない。
ただ逆に、海外メーカーが日本向けに(おそらく本国では規制されている)ガチャ入りのゲームを作って売り出しているような気配も感じる。



椎名林檎を聞いているときとAdoを聞いているときのアレな感じはだいたい同じくらいなので、自分の中で色々と納得が生じている。