2022年9月4日

今日もグラブる。エスナ1本4凸覚醒Lv15作った。あんま強くない。水通常終末作って誘惑つけた。


グラブルをしながらまとめサイトに入り浸ってしまった。ゲームやマンガやYouTuberのまとめサイトを。
グラブルをやっていると常にグラブルのことを意識の片隅において置かなければいけないので、本腰を入れて他のことをやることはできない。
でも完全にずっとグラブルに張り付いている必要は無いので退屈。いわば意識が細切れにされている状態。
なので集中力を使わないで見られるYouTubeやまとめサイトを見るのが非常にちょうどいい。
別にYouTubeやまとめサイトで時間を潰したいわけじゃない。目も疲れるし。でもグラブルをやろうとすると自然とそうなっている。パンを食べると牛乳が飲みたくなる。酒を飲むとラーメンが食べたくなる。そのような事態と似ている。
まとめサイト。匿名のコメントの集積。
それらのコメントは、どこにも行かない、発展しない、ごく素朴な個人の感想や感慨にすぎない。
なにか議論のようなようなものが成り立っているように見えるときもあるが、実情としてはそれぞれがそれぞれの言いたいことを言って場の空気を作ってそれに共感しているだけ。
ともすれば危険ですらありうる。いつの間にかその空気に自分が飲み込まれてしまうかもしれないから。
質の良い考えを持ちたいなら、質のいい言葉に触れるべきである。一般的には。
しかしにも関わらず人は、っていうかオレはまとめサイトを見てしまう。
コメントが読める。頭に入ってくる。理解できる。次から次へと、ほとんど無限に。
そのこと自体が脳に快感をもたらすからに他ならない。「わかる」ということがもたらす快楽は抗いがたいものだ。おそらくそれが知性の最も初歩的な形だからだろう。
知性にはただ「わかる」だけでなく、認識や概念を発展させる力もある。例えばある程度の量の論評。あるいは小説、映画、ものによってはデジタルゲームのような表現形式。
まとめサイトのコメント群にはそのような知的発展性は無い。
なにより独創性がない。誰かが言いそうな言葉を、まるで自分の言葉であるかのように発言しているだけ。そこに危険を感じる。
まとめサイトのコメントから感じる危険性の根源は、それがまるで「場の空気」から発されているように見えること。個人の意見ではなく。
いわゆるエコーチェンバー。同じ場所で言葉を交わし続けるうちに、誰のものでもない意見を、まるで自分の意見であるかのように思いこんでしまう。そして読む側もそれに感化されてしまう。
最悪なのが、まるで自然生成したかに見える「場の空気」が、何者かによって、というかそのまとめサイトの管理人によってコントロールされたものであること。
そんなことにも気づかずに、あたかも有益な行為であるかのように思い込んで「議論」をするコメントや、他人を攻撃するコメントがある。無限にある。どうかしている。そのどうかしたものがインターネットを作ってきた。
なにより恐ろしいのがそのインターネットが間違いなく自分の一部になっていることだ。ああおそろしい。
というのがあまりにネガティブすぎる見方なのはわかっている。部屋の汚い一部を見て、部屋全体を汚いと断定するのは論理的に間違っているわけで。
以上はただ自分がまとめサイトを「惰読」した感想を文章化してみただけで、特にこれといった結論も今後の方針もない。